日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒丸踊」の意味・わかりやすい解説
黒丸踊
くろまるおどり
長崎県大村市黒丸町の太鼓踊。「大薩摩(おおざつま)」ともいう。太鼓踊は腹部につけた腰鼓を打ちながら踊り、風流(ふりゅう)化した神籬(ひもろぎ)を背負うのが普通である。黒丸踊ではこの背負うものを花籠(はなからい)といい、それぞれに15個の梅の造花を飾り付けた81本の小竹からなり、大花輪のように開いて特色がある。まず花籠役4名と大幟(おおのぼり)役2名が鉦叩(かねたた)き4名とともに「入羽(いりは)」を踊る。ついで両刀を腰にした子供の踊り子8名が、三味線2名、笛8名、鼓2名、地太鼓2名の囃子(はやし)につれて「小踊」を踊り、最後に「三味線踊」が踊られる。文明(ぶんめい)(1469~87)の昔、有馬貴純(たかずみ)に敗退、流浪のすえに帰郷した藩主大村純伊(すみこれ)を領民が喜び迎えた際に、黒丸郷に住む中国浪人法養が郷民に教えたとの伝えがある。神社の祭礼、公の祝典などに演じられる。
[西角井正大]