黒牛潟(読み)くろうしがた

日本歴史地名大系 「黒牛潟」の解説

黒牛潟
くろうしがた

万葉集」巻九に載る大宝元年(七〇一)一〇月の持統・文武紀伊行幸の際の歌一三首のうちに

<資料は省略されています>

みえ、さらに同巻の挽歌のなかに「いにしへに妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見ればさぶしも」の一首がある。後者は左注に「柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ」とある。また巻七の羇旅歌には「黒牛の海」と詠んだ歌も載る。黒牛潟・黒牛海ともに「五代集歌枕」などに紀伊の名所としてあげられる。黒牛潟の名について本居宣長「玉勝間」は「紀の国の或書に、此黒江の磯べに、むかしいと大きにていろ黒き石の、牛のかたちしたるが有て、しほみつればかくれ、ひぬれば顕れけるを、いつのころよりかやうやうに土に埋れゆきて見えずなりぬるを、一とせ里人どもあまたたちてほりあらはさむとせしかど、大きにしてつひにえほり出さでやみぬるを、今はそのあたりまで里つづきて、かの石は民の家の地の下に有よししるしたり」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黒牛潟の言及

【海南[市]】より

…一方,シュロ皮加工業は原料を化学製品にかえて,ほうき,マットなどの和雑貨やロープ,漁網を生産している。古くは黒牛潟,名高浦と呼ばれた海南湾は,近世から塩田開発が行われ,1909年まで塩田として利用された。大正期から海岸を埋め立てて繊維産業が導入されたが,60年代半ばに県によって160haの埋立てが完成し,火力発電所,鋼管工場,石油精製所が立地した。…

※「黒牛潟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」