黒石城跡
くろいしじようあと
[現在地名]黒石市境松
黒石館ともいう。天和四年(一六八四)の境松村絵図(浅瀬石川郷土誌)によると、城跡は境松村と浅瀬石川の間の低地にあり、内広市館・外広市館・花館の三郭からなる。現在、花館跡は水田や堤防になっていて不明だが、外広市館跡はリンゴ畑の中に土壇を残し、内広市館跡は小阿弥堰の中に堀を残し、土囲の跡も部分的に見られる(浅瀬石川郷土誌)。貞享四年(一六八七)の検地帳には「古館七反歩 三箇所」とある。
最初ここに城を築いたのは、鎌倉御家人で田舎郡の地頭を務め、黒石郷などを所領としていた工藤氏であるとされる(浅瀬石川郷土誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 