黒羽田町(読み)くろばねたまち

日本歴史地名大系 「黒羽田町」の解説

黒羽田町
くろばねたまち

[現在地名]黒羽町黒羽田町

南流する那珂川に北東から南西へ流れる松葉まつば川の合流する地点の河岸段丘上にあり、東は前田まえた村、南は八塩やしお村。那珂川対岸の黒羽向くろばねむこう(石井沢村)とともに黒羽城下を形成する。郷帳類には阿久津あくつ村とみえ、その大部分が町場化していたため、黒羽田町または単に田町と称された。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちにみえる「町之分」が当町にあたると推定される(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。「創垂可継」によれば町は一筋で南北に向い合い、町中を用水堀が通る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む