改訂新版 世界大百科事典 「龐勛の乱」の意味・わかりやすい解説 龐勛の乱 (ほうくんのらん) 中国,唐末の民衆反乱。南詔防衛のため桂州(広西チワン(壮)族自治区桂林)に派遣されていた徐州の兵士2000人が,約束の3年を過ぎても帰還が許されないので,868年(咸通9)軍糧担当官の龐勛を首領に頂き,長江(揚子江)を下って自主帰還を敢行した。徐州軍節度使はこの行動を認めず戦端が開かれた。龐勛は徐州を占領して節度使の地位を朝廷に要求したが,受け入れられず,ついに土豪・農民・群盗を結集した大規模な反乱となった。翌年戦術を誤って唐将康承訓らに鎮圧されたが,5年後の黄巣の乱のさきがけをなした。執筆者:谷川 道雄 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by