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南詔 なんしょう Nan-zhao; Nan-chao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南詔
なんしょう
Nan-zhao; Nan-chao

中国南西部,雲南省の大理,昆明の両盆地に存在したチベット・ビルマ語系部族の王国。中国の唐代にあたり,唐と吐蕃との争いに乗じて勢力を強め,第4代王の皮羅閣 (ひらかく。在位 728?~748) のとき,付近の六詔と呼ばれる諸小国を併合した。

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デジタル大辞泉の解説

なんしょう〔ナンセウ〕【南詔】

中国代に、雲南省の大理を中心にチベットビルマ族が建てた王国。7世紀中ごろ、蒙舎詔(もうしゃしょう)が諸部族を統一して建国。8世紀末に最盛期を迎えたが、902年に内乱で滅亡。

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百科事典マイペディアの解説

南詔【なんしょう】

中国,唐代に雲南地方に成立した王国。チベット・ビルマ族は6詔(小王国)を建てていたが,最南に位置した蒙舎が南詔とよばれる。738年皮邏閣(ひらかく)が他の5詔を統一,唐の玄宗より雲南王に封ぜられ,8世紀末異牟尋(いむじん)の治世に全盛期を迎えた。
→関連項目大理国ペー(白)族

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世界大百科事典 第2版の解説

なんしょう【南詔 Nán zhào】

中国,唐代に今の雲南省地方にチベット・ビルマ族の蒙氏が建てた王国。649ころ‐902年。唐初,雲南の大理地方に六つの詔国が割拠して勢力を競っていた。詔とは王の意味である。これら六詔国のうち,現在の巍山イ(彝)族回族自治県にいた蒙舎詔が最も南に位置したので南詔とよばれる。南詔の歴代系譜には,親の名の末字を子の名の頭字につける,チベット・ビルマ語族に特有な父子連名制がみられる。南詔は,細奴邏(?‐674)なる者がでて強大となり,649年ごろには大蒙国と号し,唐に入朝して巍州刺史に任じられた。

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大辞林 第三版の解説

なんしょう【南詔】

中国、雲南地方に成立したチベット-ビルマ語族の王国(649頃~902)。大理・昆明の二盆地を中心に、八世紀末最盛期を迎え仏教文化が栄えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南詔
なんしょう

8世紀なかば中国の雲南省地方に形成された一王国。南詔(詔は王の意)は大理盆地帯に割拠していたチベット系六詔中の一詔で、唐朝の雲南経営に協力しつつ台頭し、やがて大理盆地や東方の昆明(こんめい)盆地の対立諸部族を打倒し、ついに5代目の閣羅鳳(かくらほう)は吐蕃(とばん)(チベット王国)の加勢を受けて唐の支配下からも脱して一王国を創立した(752)。次代の異牟尋(いぼうじん)はさらに吐蕃への臣服関係をも断ち切って、いまの大理市治に都を移し、国内の諸制度を整えて名実ともに南詔王国を確立した。唐、吐蕃両国が衰退期に入ると、南詔はしだいに領域を拡張して、西方は上ビルマに、南方は交州(ハノイ)に、北方は成都(四川(しせん)省)へと進出し、唐朝は防備のため大いに苦しめられた。やがて国内の権臣が台頭し、鄭(てい)氏、趙(ちょう)氏、楊(よう)氏が相次いで王位を奪い、さらに通海節度使段思平(だんしへい)が大理国を開いた(937)。
 南詔王国は大理盆地と昆明盆地の白蛮(現在の白(ペー)族)系農耕社会を基盤とし、白蛮文化を中心に形成されたもので、諸制度や文物は多く唐制によっているが、チベット系のものもみられる。唐からは儒学を学び漢字を公用し、中国仏教を受容した貴族仏教も大いに栄え、建寺造仏が行われた。[藤沢義美]

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世界大百科事典内の南詔の言及

【雲南[省]】より

…唐代には漢民族の勢力はこの地域から後退した。かわって洱海付近で力を得たペー(白)族の先住民白蛮とチベット系の吐蕃が台頭したが,白蛮の一部族南詔が唐に支持され族長皮羅閣を〈雲南王〉として南詔国を成立させた。ここから〈雲南〉は南詔の別称として使われることになる。…

【ペー族(白族)】より

…族源に関しては,タイ系諸族説,チベット・ビルマ系諸族説,モン・クメール系諸族説あるいは多元説,土着説,外来説などの諸見解がある。これらの〈ペー族族源問題〉は日本の東洋史学界でも取り上げられ《蛮書》や《南詔野史》などの漢籍文献に現れる爨(さん)・僰(ほく),烏蛮(うばん)・白蛮(はくばん)等の民族集団の種族系統や南詔王国の支配階層との関係をめぐって論議が繰り広げられてきた。今日では,ペー族とは白蛮(広義のタイ系族)の雲南における子孫であり,長いあいだ烏蛮(イ語系諸族)の支配を受けたために両者の文化が融合してペー族を形成したとする考えが一般的になってきている。…

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