コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

南詔 なんしょうNan-zhao; Nan-chao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南詔
なんしょう
Nan-zhao; Nan-chao

中国南西部,雲南省大理昆明の両盆地に存在したチベット・ビルマ語系部族の王国。中国の代にあたり,唐と吐蕃との争いに乗じて勢力を強め,第4代王の皮羅閣 (ひらかく。在位 728?~748) のとき,付近の六詔と呼ばれる諸小国を併合した。唐は 738年に彼に雲南王の称号を与え,10年以上友好関係を保ったが,南詔は次第に唐の勢力を重荷と感じて,750年に反逆した。 779年に即位した第6代王異牟尋の時代が最盛期で,唐および吐蕃との間で巧みに勢力を保ったが,901年に簒奪者により滅亡した。南詔王の配下で白蛮 (タイ族) 出身の段思平は簒奪者を破り,937年に南詔の後身である大理国を建てた。唐の滅亡,吐蕃の衰退により外患は去り,大理国は 300年余の平和な治世ののち,1253年にモンゴルの遠征により滅亡した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

なんしょう〔ナンセウ〕【南詔】

中国代に、雲南省の大理を中心にチベット‐ビルマ族が建てた王国。7世紀中ごろ、蒙舎詔(もうしゃしょう)が諸部族を統一して建国。8世紀末に最盛期を迎えたが、902年に内乱で滅亡。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

南詔【なんしょう】

中国,唐代に雲南地方に成立した王国。チベット・ビルマ族は6詔(小王国)を建てていたが,最南に位置した舎が南詔とよばれる。738年皮邏閣(ひらかく)が他の5詔を統一,唐の玄宗より雲南王に封ぜられ,8世紀末異牟尋(いむじん)の治世に全盛期を迎えた。この間,大理・昆明盆地を中心に,観音信仰に基づく独特の仏教文化をもち,しばしば唐に対して反乱を起こしたが,内紛のため902年鄭氏に王位を奪われた。
→関連項目大理国ペー(白)族

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

なんしょう【南詔 Nán zhào】

中国,唐代に今の雲南省地方にチベット・ビルマ族の蒙氏が建てた王国。649ころ‐902年。唐初,雲南の大理地方に六つの詔国が割拠して勢力を競っていた。詔とは王の意味である。これら六詔国のうち,現在の巍山イ(彝)族回族自治県にいた蒙舎詔が最も南に位置したので南詔とよばれる。南詔の歴代系譜には,親の名の末字を子の名の頭字につける,チベット・ビルマ語族に特有な父子連名制がみられる。南詔は,細奴邏(?‐674)なる者がでて強大となり,649年ごろには大蒙国と号し,唐に入朝して巍州刺史に任じられた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

なんしょう【南詔】

中国、雲南地方に成立したチベット-ビルマ語族の王国(649頃~902)。大理・昆明の二盆地を中心に、八世紀末最盛期を迎え仏教文化が栄えた。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南詔
なんしょう

8世紀なかば中国の雲南省地方に形成された一王国。南詔(詔は王の意)は大理盆地帯に割拠していたチベット系六詔中の一詔で、唐朝の雲南経営に協力しつつ台頭し、やがて大理盆地や東方の昆明(こんめい)盆地の対立諸部族を打倒し、ついに5代目の閣羅鳳(かくらほう)は吐蕃(とばん)(チベット王国)の加勢を受けて唐の支配下からも脱して一王国を創立した(752)。次代の異牟尋(いぼうじん)はさらに吐蕃への臣服関係をも断ち切って、いまの大理市治に都を移し、国内の諸制度を整えて名実ともに南詔王国を確立した。唐、吐蕃両国が衰退期に入ると、南詔はしだいに領域を拡張して、西方は上ビルマに、南方は交州(ハノイ)に、北方は成都(四川(しせん)省)へと進出し、唐朝は防備のため大いに苦しめられた。やがて国内の権臣が台頭し、鄭(てい)氏、趙(ちょう)氏、楊(よう)氏が相次いで王位を奪い、さらに通海節度使段思平(だんしへい)が大理国を開いた(937)。
 南詔王国は大理盆地と昆明盆地の白蛮(現在の白(ペー)族)系農耕社会を基盤とし、白蛮文化を中心に形成されたもので、諸制度や文物は多く唐制によっているが、チベット系のものもみられる。唐からは儒学を学び漢字を公用し、中国仏教を受容した貴族仏教も大いに栄え、建寺造仏が行われた。[藤沢義美]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の南詔の言及

【雲南[省]】より

…唐代には漢民族の勢力はこの地域から後退した。かわって洱海付近で力を得たペー(白)族の先住民白蛮とチベット系の吐蕃が台頭したが,白蛮の一部族南詔が唐に支持され族長皮羅閣を〈雲南王〉として南詔国を成立させた。ここから〈雲南〉は南詔の別称として使われることになる。…

【ペー族(白族)】より

…族源に関しては,タイ系諸族説,チベット・ビルマ系諸族説,モン・クメール系諸族説あるいは多元説,土着説,外来説などの諸見解がある。これらの〈ペー族族源問題〉は日本の東洋史学界でも取り上げられ《蛮書》や《南詔野史》などの漢籍文献に現れる爨(さん)・僰(ほく),烏蛮(うばん)・白蛮(はくばん)等の民族集団の種族系統や南詔王国の支配階層との関係をめぐって論議が繰り広げられてきた。今日では,ペー族とは白蛮(広義のタイ系族)の雲南における子孫であり,長いあいだ烏蛮(イ語系諸族)の支配を受けたために両者の文化が融合してペー族を形成したとする考えが一般的になってきている。…

※「南詔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

南詔の関連キーワードクンミン(昆明)特別市シナ・チベット系諸族トールン族(独竜族)トールン(独竜)族アルハイ(洱海)湖ユンナン(雲南)省ターリー(大理)市唐の時代(年表)パガン(蒲甘)朝東南アジア美術ビルマ・ルートシーサンパンナペー(白)族パイ(白)族炭焼き長者大理(国)大理[市]安南都護府タイ(国)雲南(省)

今日のキーワード

書類送検

警察から検察官に対して事件を送致する場合 (送検) ,捜査に当たり逮捕した被疑者の身柄を引き続き拘束しておく必要があるときは書類,証拠物とともに身柄を送致するが,もともと逮捕しなかったり,一度逮捕した...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android