中国,唐代に今の雲南省地方にチベット・ビルマ族の蒙氏が建てた王国。649ころ-902年。唐初,雲南の大理地方に六つの詔国が割拠して勢力を競っていた。詔とは王の意味である。これら六詔国のうち,現在の巍山イ(彝)族回族自治県にいた蒙舎詔が最も南に位置したので南詔とよばれる。南詔の歴代系譜には,親の名の末字を子の名の頭字につける,チベット・ビルマ語族に特有な父子連名制がみられる。南詔は,細奴邏(?-674)なる者がでて強大となり,649年ごろには大蒙国と号し,唐に入朝して巍州刺史に任じられた。これ以後,唐の雲南経営に協力しつつ勢力を強め,第4代の皮羅閣(?-748)のときに他の5詔国を併せ,さらに白蛮を破って雲南を統一し,738年(開元26)には唐の玄宗から雲南王に封ぜられ,都を巍山から大理の太和城(雲南省大理市太和村)に移した。このように強大となった南詔は,唐との間に不和が生じ,750年(天宝9)以来,唐はしばしば南詔を討伐したが,瘴癘(しようれい)の地だったため,兵士たちの8,9割が途中で病死したと伝えられた。《新楽府(しんがふ)》に収められた白居易の〈新豊の臂(うで)を折りし翁〉の詩は,このときの出兵のおろかさを風刺したものである。まもなく安史の乱の勃発により,唐の雲南経略はおろそかとなった。8世紀の末,第6代の異牟尋(?-808)の治世に極盛期を迎え,子弟を成都に留学させ,唐朝文化の摂取につとめた。南詔は仏教王国でもあり,その中心は崇聖寺と3座の磚塔(せんとう)であった。しかし,唐末の混乱期に,権臣が跋扈(ばつこ)して王権は失墜し,漢人の鄭買嗣に奪(さんだつ)され,唐朝の滅亡に先んじて滅んだ。
執筆者:礪波 護
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8世紀なかば中国の雲南省地方に形成された一王国。南詔(詔は王の意)は大理盆地帯に割拠していたチベット系六詔中の一詔で、唐朝の雲南経営に協力しつつ台頭し、やがて大理盆地や東方の昆明(こんめい)盆地の対立諸部族を打倒し、ついに5代目の閣羅鳳(かくらほう)は吐蕃(とばん)(チベット王国)の加勢を受けて唐の支配下からも脱して一王国を創立した(752)。次代の異牟尋(いぼうじん)はさらに吐蕃への臣服関係をも断ち切って、いまの大理市治に都を移し、国内の諸制度を整えて名実ともに南詔王国を確立した。唐、吐蕃両国が衰退期に入ると、南詔はしだいに領域を拡張して、西方は上ビルマに、南方は交州(ハノイ)に、北方は成都(四川(しせん)省)へと進出し、唐朝は防備のため大いに苦しめられた。やがて国内の権臣が台頭し、鄭(てい)氏、趙(ちょう)氏、楊(よう)氏が相次いで王位を奪い、さらに通海節度使段思平(だんしへい)が大理国を開いた(937)。
南詔王国は大理盆地と昆明盆地の白蛮(現在の白(ペー)族)系農耕社会を基盤とし、白蛮文化を中心に形成されたもので、諸制度や文物は多く唐制によっているが、チベット系のものもみられる。唐からは儒学を学び漢字を公用し、中国仏教を受容した貴族仏教も大いに栄え、建寺造仏が行われた。
[藤沢義美]
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?~902
唐代,雲南省大理(だいり)の地に建てられたチベット・ビルマ語族の王国。雲南には六詔(りくしょう)と総称される群雄が割拠していた。南詔は7世紀初め大蒙国(だいもうこく)と称して唐に朝貢していたが,8世紀中頃皮羅閣(ひらかく)が出るに及んで他の五詔を併合,雲南を統一した。南詔の勢力が強大化するに伴い,唐との関係が悪化したため,8世紀後半には吐蕃(とばん)と組んで唐に侵攻した。902年家臣の簒奪で滅んだ。
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…唐代には漢民族の勢力はこの地域から後退した。かわって洱海付近で力を得たペー(白)族の先住民白蛮とチベット系の吐蕃が台頭したが,白蛮の一部族南詔が唐に支持され族長皮羅閣を〈雲南王〉として南詔国を成立させた。ここから〈雲南〉は南詔の別称として使われることになる。…
…族源に関しては,タイ系諸族説,チベット・ビルマ系諸族説,モン・クメール系諸族説あるいは多元説,土着説,外来説などの諸見解がある。これらの〈ペー族族源問題〉は日本の東洋史学界でも取り上げられ《蛮書》や《南詔野史》などの漢籍文献に現れる爨(さん)・僰(ほく),烏蛮(うばん)・白蛮(はくばん)等の民族集団の種族系統や南詔王国の支配階層との関係をめぐって論議が繰り広げられてきた。今日では,ペー族とは白蛮(広義のタイ系族)の雲南における子孫であり,長いあいだ烏蛮(イ語系諸族)の支配を受けたために両者の文化が融合してペー族を形成したとする考えが一般的になってきている。…
※「南詔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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