名沢村(読み)あしなざわむら

日本歴史地名大系 「名沢村」の解説

名沢村
あしなざわむら

[現在地名]鹿角市十和田山根とわだやまね 上芦名沢かみあしなざわ下芦名沢しもあしなざわ

毛馬内けまない小坂こさか川に注ぐ汁毛しるけ川中流域に位置。寛政(一七八九―一八〇一)頃の「邦内郷村志」に村名が出る。

「鹿角郡由来記」に「芦名沢村 芦名沢太郎兵衛領知 本名奈良 館有」とあり、中世後期には開村していた。現熊坂くまざかから川を挟む東方台地に中世後期の館跡があり、単郭状平坦面と館神八幡を残す。比高およそ三〇メートル、自然地形を利用した軍事的要地だが居館としては不適である。

寛政期の村高一六一石八斗余で、うち蔵分二〇石八斗、民戸六六軒でうち長戸路ながとろ割石わりいしに各六軒(邦内郷村志)近世後期の花輪御官所村々郡分高書上帳では高一六一石八斗で、うち二二石一斗余が蔵分、給人は五人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報