湯之尾郷(読み)ゆのおごう

日本歴史地名大系 「湯之尾郷」の解説

湯之尾郷
ゆのおごう

現菱刈町南東部、北西流する川内せんだい川流域にある。湯尾ゆのおとも記される。

〔中世〕

後白河天皇より大隅国菱刈両院七〇〇余町を与えられた菱刈氏の祖重妙は、建久五年(一一九四)京都より下向し、菱刈郡太良たら院に居住したとされ、太良院の本城ほんじよう馬越まこし・湯之尾、曾木そぎ(現大口市)牛屎うしくそ院の入山いりやま牛山うしやま羽月はつき平泉ひらいずみ山野やまの(現大口市)を領したとされる(「藤原姓菱刈氏系図」菱刈文書など)。戦国期には川内川北岸におそらく菱刈氏により湯之尾城(水天ヶ城)が築かれた。永禄一〇年(一五六七)島津氏による菱刈攻撃が開始され、一一月二三日島津貴久・義久の軍は栗野くりのから湯之尾に着到した。翌二四日からの馬越城総攻撃の際湯之尾城は喜入氏ら五千の軍勢の攻撃を受けた。同日馬越城が島津氏に攻略されると、菱刈氏は湯之尾城など八城を放棄し、大口城に籠った(「島津貴久譜」旧記雑録)。以後湯之尾城には島津氏の番衆が配された(「新納忠元勲功記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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