三国名勝図会(読み)さんごくめいしようずえ

日本歴史地名大系 「三国名勝図会」の解説

三国名勝図会
さんごくめいしようずえ

六〇巻二〇冊 五代秀尭・橋口兼柄編著

成立 天保一四年

分類 地誌

写本 国立公文書館(五冊)・東京大学史料編纂(六〇冊)

構成 巻一(薩隅日総説)・巻二―七(薩摩国鹿児島郡)・巻八―一〇(同国日置郡)・巻一一―一二(同国薩摩郡)・巻一三―一四(同国高城郡)・巻一五―一六(同国出水郡)・巻一七―一八(同国伊佐郡)・巻一九(同国谿山郡)・巻二〇(同国給黎郡)・巻二一―二二(同国揖宿郡)・巻二三―二四(同国頴娃郡)・巻二五―二八(同国河辺郡)・巻二九(同国阿多郡)・巻三〇(同国甑島郡)・巻三一―三六(大隅国囎唹郡)・巻三七―三九(同国姶羅郡)・巻四〇―四一(同国桑原郡)・巻四二(同国菱刈郡)・巻四三―四六(同国大隅郡)・巻四七―四九(同国肝属郡)・巻五〇(同国馭謨郡)・巻五一(同国熊毛郡)・巻五二―六〇(日向国諸県郡)

解説 本書編纂の基礎となったのは、文化三年成巻した本田親孚・平山武毅「薩摩名勝志」である。同書は親孚が三ヵ年を費やし諸郷を巡歴調査したものであるが、親孚の大嶋代官転出のあと、武毅がその作業を完成させた。しかし文化五年の近思録崩れによって親孚は蟄居を命じられる事件が起こり、その刊行は中断していた。天保一四年鹿児島藩主島津斉興の命によって五代秀尭・橋口兼柄の手により撰進されたのが当書である。ところで「薩藩名勝志」の編纂を進めるために諸郷から再撰帳を徴収していたが、それを参照して編纂された当書から所惣高・人口数・戸数などの統計的数字が欠落しているのが惜しまれる。

活字本 「三国名勝図会」上・中・下三巻(南日本出版文化協会)、「三国名勝図会」全四巻・索引(青潮社)


三国名勝図会
さんごくめいしようずえ

六〇巻 五代秀尭・橋口兼柄等編

成立 天保一四年

原本 鹿児島大学附属図書館玉里文庫

写本 東京大学史料編纂所(六〇冊)・国立公文書館(五冊、巻三四―三八)

解説 鹿児島藩主島津斉興の命を受けて編纂され、天保一四年に完成した鹿児島藩の総合地誌。文化三年藩主島津重豪の命で記録奉行本田親孚が三ヵ年にわたる藩内の巡歴調査に基づいて編纂した原稿を、同職平山武毅が仕上げた「薩藩名勝志」一九巻が完成していたが、総合地誌としては不十分であった。斉興は同書の遺漏分を補い完備した本格的な地誌を望み、記録方に新しく編纂を命じた。当初記録奉行の橋口兼古、のちに五代秀尭を総裁に五代友古・橋口兼柄らを補佐役として諸郷再撰帳の申達を各郷に命じて基礎史料を整え、記録所(のち特設の名勝志再撰方座)で編纂が進められ、天保一四年に成業した。内容はまず薩隅日総説に始まり、本府鹿児島に関する記事のあと、薩摩国から郡ごとにまとめて郷別に鹿児島からの方位と距離、公私領の別、郷仮屋の所在地、郷の成立や沿革の記事を収め、続けて山水・居所・橋道・神社・仏寺・墳墓(古石塔)・旧蹟・物産・叢談など一〇項目に分類して記す。内容は網羅的・詳細で、近世後期の鹿児島藩の歴史・地理を知るうえで最も基礎的で最高の地誌となっている。また本文中に収める五〇〇に及ぶ寺社・名勝などの絵図は当時の様子を知るうえで貴重で、とくに廃仏毀釈によって一宇残さず破却湮滅した仏教寺院の景観を細かくうかがうに得がたい史料となっている。

活字本 明治三八年(和装本二〇冊、島津家臨時編輯所)・昭和四一年(三巻、南日本出版文化協会復刻)・同五七年(四巻・索引編一巻、青潮社復刻)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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