伊佐郡(読み)いさぐん

日本歴史地名大系 「伊佐郡」の解説

伊佐郡
いさぐん

薩摩国の北東部、川内せんだい川上流域に、近世初頭から明治二〇年(一八八七)まであった。およそ中世の牛屎うしくそ(現大口市)およびけどう院の地域を合せて成立した郡で、西は出水いずみ郡・薩摩郡、東は菱刈ひしかり郡・桑原くわはら郡・始羅しら郡、北は肥後国に接していた。現在の答院けどういん町、薩摩町、宮之城みやのじよう(一部薩摩郡)・鶴田町および大口市(一部菱刈郡)にあたる。薩摩半島中央西部にあった古代伊作いさく(現吹上町)と字面が似ているため、しばしば混同されたが、郡域もまったく異なる別の郡であった。寛文四年(一六六四)幕府は当郡と古代伊作郡とを混同し、伊作郡を正式名称としたが(「寛文朱印留」など)、貞享元年(一六八四)の領知目録(旧記雑録)では伊佐郡に改められている。

伊佐郡
いさぐん

面積:一〇〇・四八平方キロ(境界未定)
菱刈ひしかり

県北部に位置し、北・西は大口市、東は宮崎県えびの市と姶良あいら吉松よしまつ町、南は同郡栗野くりの町・薩摩郡薩摩町に接する。近世以来の伊佐郡は明治二〇年(一八八七)南伊佐郡と北伊佐郡に分離したことにより消滅。同二九年の郡区画改正で北伊佐郡と菱刈郡とが合併し、伊佐郡の名称が復活した。合併時の所属村は旧北伊佐郡の大口村・山野やまの村・羽月はつき(現大口市)、旧菱刈郡の菱刈村・東太良ひがしたら(現菱刈町)、西太良村(現大口市)の六ヵ村からなっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報