日本大百科全書(ニッポニカ) 「IMRO」の意味・わかりやすい解説
IMRO
いむろ
1893年、「マケドニア人のためのマケドニア」をスローガンに掲げて創設されたマケドニアの秘密革命組織。英語名Internal Macedonian Revolutionary Organization(内部マケドニア革命組織)の頭文字をとった略称。オスマン帝国からの自治権獲得と、セルビア、マケドニア、ブルガリアによるバルカン連邦の結成を目ざし、1903年にイリンデン蜂起(ほうき)(イリンデンは「聖エリヤの日」で祭日の名)を行った。これが失敗すると、しだいにブルガリアの保護下に入り、第一次世界大戦中はマケドニアのセルビア系住民に無差別テロを加えた。第一次大戦でブルガリアが敗戦すると、IMROのメンバーはブルガリアの首都ソフィアに流入し、ヌイイ条約(第一次大戦後、連合諸国とブルガリアとの間に結ばれた講和条約)に対する国民的反感に乗じて、近隣諸国との友好政策を唱える政治家を暗殺し、スタンボリースキ政権転覆にも加担した。しかし、その後左派と右派に分裂して組織内テロも多発させ、ブルガリア国内に大きな混乱をもたらした。
[寺島憲治]