和林格爾漢墓(読み)ホリンゴールかんぼ(英語表記)Hé lín gé ěr Hàn mù

改訂新版 世界大百科事典 「和林格爾漢墓」の意味・わかりやすい解説

和林格爾漢墓 (ホリンゴールかんぼ)
Hé lín gé ěr Hàn mù

中国,内モンゴル自治区和林格爾県南東40km,新店子公社西2.5kmの紅河北岸にある後漢の壁画墓。1971年に発見され,72年に調査された。封土をもった塼築多室墓で,耳室付の前・中室と後室からなり,墓室全長は約13m。盗掘のため遺物はわずかである。しかし,墓壁全面に鮮艶な壁画があり,墨書傍題により画題のわかるものが多い。前室四壁には墓主人が孝廉に挙げられてから郎,西河長史,行上郡属国都尉,繁陽令を経て使持節護烏桓校尉に栄進した履歴を,その官職時の車馬行列の姿であらわす。前室の南・北耳室には農耕牧畜図,中室には官衙建物と先賢・刺客・列女伝の人物,祥瑞図,百戯,後室には墓主人夫妻像とその住居の武成城,四神図,荘園図を描く。壁画は白灰面上に簡潔な筆致で多彩に描かれている。墓主人の姓名は不詳であるが,築造年代は傍題の地名校訂から後漢末100~170年ころと推定され,2000石級の大墓の好例である。
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