ルドリュロラン(英語表記)Alexandre Auguste Ledru-Rollin

改訂新版 世界大百科事典 「ルドリュロラン」の意味・わかりやすい解説

ルドリュ・ロラン
Alexandre Auguste Ledru-Rollin
生没年:1807-74

フランスの政治家。七月王政下と二月革命期に共和主義者として活躍したが,普通選挙の実現を通じて社会改革を可能にしていくというその立場は,民衆運動による下からの社会革命の方向とは,しばしば対立した。七月革命後に弁護士としてまた共和派として知られるようになり,1841年から42年,46年と連続して代議士当選議会最左翼急進共和派を形成し,民主的で社会的な共和国の実現を唱え,労働者層にも普通選挙の実現を訴えた。この間43年には新聞《レフォルム》を創刊し,共和主義の宣伝に努めた。二月革命で臨時政府の内相となり,地方に政治委員を派遣して名望家層の支配を打破しようとするが,民衆運動の激化保守派の攻撃に狭まれて,共和政を主導することができなかった。翌49年,議会で最左翼の山岳派に接近し,フランス軍のローマ攻撃を批判して街頭行動を試みようとしたが,失敗して亡命。71年帰国し,74年に代議士となったが,政治的には傍観者として終始した。
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世界大百科事典(旧版)内のルドリュロランの言及

【急進主義】より

…しかし以後も,労働者階級に選挙権を拡大しようとする議会政治家が出現し,彼らを急進派と名づけるようになる。 こうしてイギリスで生まれたこの言葉は,フランスに輸入されて,ルドリュ・ロランらの共和派に冠せられることになる。七月王政下の1838年に,彼は普通選挙の実現こそが革命を予防しうるものだという立場を明確にし,政治的改革の重要性を強調した。…

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