喜安(読み)きあん

改訂新版 世界大百科事典 「喜安」の意味・わかりやすい解説

喜安 (きあん)
生没年:1566-1653(永禄9-承応2)

江戸前期,琉球国王に仕えた僧侶。喜安入道蕃元と称した。泉州堺の出身で1600年(慶長5)琉球に渡り,時の尚寧王に茶道をもって仕えた。09年,薩摩島津氏3000の兵により琉球が征服されたとき,薩摩軍との講和大任をおびて奔走し,捕虜として鹿児島に連行された尚寧王と行をともにした。《喜安日記》はこの間の戦役を伝える史料として有名である。その後も重用され喜安親方(うえーかた)と称し,琉球で没した。
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関連語 倉吉

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜安」の解説

喜安 きあん

1566*-1653 織豊-江戸時代前期の茶人。
永禄(えいろく)8年12月29日生まれ。和泉(いずみ)堺の人。慶長5年琉球にわたり,茶の師匠として尚寧(しょうねい)王につかえる。薩摩(さつま)島津氏の琉球侵攻の際には和睦(わぼく)につとめ,捕虜となった王の薩摩・江戸行きにしたがう。島津の侵攻を琉球側からみた唯一の史料「喜安日記」をのこした。承応(じょうおう)2年閏(うるう)6月18日死去。89歳。名は蕃元(ばんげん)。通称は喜安親方(うえーかた)。

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367日誕生日大事典 「喜安」の解説

喜安 (きあん)

生年月日:1565年12月29日
安土桃山時代;江戸時代前期の僧
1653年没

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