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喜安 きあん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

喜安 きあん

1566*-1653 織豊-江戸時代前期の茶人。
永禄(えいろく)8年12月29日生まれ。和泉(いずみ)堺の人。慶長5年琉球にわたり,茶の師匠として尚寧(しょうねい)王につかえる。薩摩(さつま)島津氏の琉球侵攻の際には和睦(わぼく)につとめ,捕虜となった王の薩摩・江戸行きにしたがう。島津の侵攻を琉球側からみた唯一の史料「喜安日記」をのこした。承応(じょうおう)2年閏(うるう)6月18日死去。89歳。名は蕃元(ばんげん)。通称は喜安親方(うえーかた)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

喜安

没年:尚質6.閏6.18(1653.8.10)
生年:永禄8.12.29(1566.1.20)
慶長5(1600)年に和泉国(大阪府)堺より琉球国に渡来し,尚寧王に仕えた僧。名は蕃元。『喜安日記』を著したことで知られる。尚寧には茶道をもって仕えたといわれるが,それ以前の経歴については明らかでない。慶長14(1609)年の島津軍の琉球侵入に際しては,尚寧の意を受けて和議に力をつくし,そして同年から翌年にかけて,尚寧の島津氏および徳川氏への拝謁となると,これに随行した。尚寧31(1619)年には数寄屋奉行を務め,翌年知行50石を給された。琉球国の茶道の受容に大きく貢献したと伝えられる。『喜安日記』は薩摩侵入に関する琉球側の貴重な資料である。<参考文献>池宮正治「喜安日記」(『那覇市史』資料編1巻解説)

(上原兼善)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きあん【喜安】

1566‐1653(永禄9‐承応2)
江戸前期,琉球の国王に仕えた僧侶。喜安入道蕃元と称した。泉州堺の出身で1600年(慶長5)琉球に渡り,時の尚寧王に茶道をもって仕えた。09年,薩摩島津氏3000の兵により琉球が征服されたとき,薩摩軍との講和の大任をおびて奔走し,捕虜として鹿児島に連行された尚寧王と行をともにした。《喜安日記》はこの間の戦役を伝える史料として有名である。その後も重用され喜安親方(うえーかた)と称し,琉球で没した。【高良 倉吉】

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