1917年のロシア二月革命によって成立した政府。当初は自由主義者を主体に構成されたが、同年5月以降、協調派の社会主義者との連立政府となり、十月革命によって崩壊した。臨時政府は、二月革命による帝政崩壊を受け、国会議長ロジャンコらを中心に組織された国会臨時委員会が、ペトログラード・ソビエトの支持を得て3月15日(ロシア暦同月2日)に組織したもので、リボフ公を首相に、ソビエト副議長のケレンスキー法相を除き、カデット、オクチャブリストなどの自由主義者によって構成された。政府は、言論・出版の自由など国内の民主化を認めるとともに、連合国との協力による第一次世界大戦の遂行を目ざした。しかし、まもなくミリュコフ外相の好戦的覚書の暴露をきっかけに、大衆運動の圧力で崩壊、5月19日(同月6日)には、新たにペトログラード・ソビエトを代表するSR(エスエル)、メンシェビキら社会主義者6名と自由主義者9名による連立政府(第二次臨時政府)が組織された。この政府も、ドイツ軍に対する夏期攻勢の失敗、民族自治政策をめぐる政府内の対立などから長続きせず、8月6日(7月24日)にはケレンスキーを首相兼陸海相とする第二次連立政府の成立となった。ケレンスキーは、自らが任命した最高総司令官コルニーロフの右翼軍事クーデターを、ソビエトの力を借りて鎮圧したあとは最高総司令官も兼任、大きな力を手中にしたが、各地のソビエトがボリシェビキを中心とするソビエト権力樹立派に転換したため、自らの基盤そのものを失った。臨時政府は、11月7日(10月25日)開会の第2回全ロシア・ソビエト大会によるソビエト政府の樹立により消滅した。
[藤本和貴夫]
革命などによって旧政府が廃止され、最終的に立憲体制下の正式政府が樹立されるまで、臨時的に組織される政府。先在した政府にとってかわって現実的な排他的な支配力をもつ政府として、正統政府に対して非合法的に生まれた政府として、「事実上の政府」と同義語で使われもする。1917年のロシア革命は、旧政府を打倒し、労兵ソビエトと臨時政府を生み出した。また、1931年4月には、スペインにおいて、共和制を目ざす革命委員会が臨時政府をつくり、共和制の樹立が宣言された。
[村上義和]
…労働者と兵士がソビエトに忠誠を示し,官吏と将校が国会臨時委員会に忠誠を誓うというあり方が,いわゆる〈二重権力〉状態である。この基礎の上に,ソビエトの承認のもと,3月2日国会臨時委員会は,首相リボフGeorgii E.L’vov(1861‐1925),外相ミリュコーフ,商工相コノバーロフなどの臨時政府を発足させた。この白軍首脳はロジャンコの要請を受け入れ,皇帝に皇太子への譲位を求めた。…
※「臨時政府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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