大村純長(読み)おおむら すみなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大村純長」の解説

大村純長 おおむら-すみなが

1636-1706 江戸時代前期-中期大名
寛永13年8月21日生まれ。幕府勘定奉行伊丹勝長の4男。大村純信養子となり,慶安4年肥前大村藩(長崎県)藩主大村家4代。56年間の治世中,藩政の諸機構を整備し,キリシタン対策のため仏寺再興政策をすすめた。寛文10年藩校集義館を創設。宝永3年8月21日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大村純長の言及

【大村藩】より

…肥前国(長崎県)彼杵(そのぎ)郡大村に藩庁を置いた外様小藩。藩主大村氏。2万7973石。大村氏は鎌倉時代から地頭として擡頭し,以降中世期を通じて在地領主として発展した。1570年(元亀1)純忠は長崎を開港し,南蛮貿易を中心に外交策を展開しながら本領の確保につとめた。87年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵され,近世大名に取り立てられたが,それと同時に発布された伴天連追放令と長崎の収公によって,貿易利潤に終止符が打たれ,藩財政は成立当初から窮乏をきたした。…

※「大村純長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」