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ヤンセン Jansen, Willem

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヤンセン
Jansen, Willem

[生]?
[没]1636.4. アルクマール
オランダ東インド会社遣日特使。かねてオランダ商船隊司令官として日本にしばしば来たことがあるが,バタビアの船隊装備主任であった 1629年とその翌年の2度,タイオワン事件 (浜田弥兵衛事件) で人質となったオランダ船乗組員の釈放と閉鎖された日蘭貿易の再開を江戸幕府に出願する特使として来日した。第2回目のときは,31年5月4日から 32年 11月 22日まで辛抱強く江戸で交渉を続け,東インド総督が事件の責任者の前タイオワン長官 P.ノイツを人質として日本に送ったことによって事件はようやく解決した。 33年帰国船隊の副司令官となり,34年6月会社の取締役会議と,オランダの議会で報告のうえ引退した。滞日中の日記が『平戸オランダ商館の日記』第2集 (永積洋子訳) に収められている。

ヤンセン
Janssen, Johannes

[生]1829.4.10. クサンテン
[没]1891.12.24. フランクフルトアムマイン
ドイツの歴史家。 1854年フランクフルトのギムナジウム教授,60年司祭,75年プロシア下院議員。カトリック教会の立場から,宗教改革はドイツの社会組織崩壊を導いたと主張したため,H.デルブリュックらのプロテスタント派歴史家に激しく攻撃された。主著『中世末以来のドイツ国民史』 Geschichte des deutschen Volkes seit dem Ausgang des Mittelalters (8巻,1876~94) 。

ヤンセン
Janssen, Peter Johann Theodor

[生]1844. ジュッセルドルフ
[没]1908. ジュッセルドルフ
ドイツの画家。ジュッセルドルフ美術アカデミーで学び,1875年同校教授,85年ベルリン美術アカデミー教授。風景画,歴史画,肖像画のほか,公共建物の壁画や室内装飾も手がけた。

ヤンセン
Janssen van Ceulen, Cornelius

[生]1593. ロンドン
[没]1664頃
オランダの画家。イギリスのチャールズ1世の宮廷で肖像画家として活躍,のちオランダに帰った。暗い背景に浮き出すような細密な筆致の作品を残した。主要作品は『チャールズ1世像』『ジョン・ミルトン像』。

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百科事典マイペディアの解説

ヤンセン

フランドルの神学者。ラテン名ヤンセニウスCornelius Jansenius。ルーバン大学教授,イープル司教。死後出版された主著《アウグスティヌス》(1640年)は異端とされたが,その思想はジャンセニスムとして友人サン・シランらによって継承された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ヤンセン Janssen, Willem

?-1636 オランダの外交特使。
寛永5年浜田弥兵衛事件で断絶した日蘭貿易を再開するため,6年(1629)に来航。7年から9年まで江戸に滞在し,交渉の末に貿易再開をゆるされた。1636年4月死去。ヤンスゾーン(Janszoon)とも。

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世界大百科事典 第2版の解説

ヤンセン【Cornelis Jansen】

1585‐1638
スペイン領フランドル(現在のベルギー)のカトリック神学者。ラテン名ヤンセニウスCornelius Jansenius,フランス名ジャンセニウスJansénius。現オランダ領アコイの生れ。ルーバンさらにパリで学ぶが,そこでサン・シランと親交を結び,2人で聖書と教父の著作の研究に専心する。1617年祖国に戻り,ルーバン大学教授として研究,教育,大学行政に活躍し,36年にはイーペルの司教に任じられ,同地に没した。

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大辞林 第三版の解説

ヤンセン【Cornelis Otto Jansen】

1585~1638) オランダのカトリック神学者。対抗宗教改革の時代のイエズス会を中心とする人間中心主義的神学を批判して神の恩恵の絶対性を説いた。主著「アウグスティヌス」は、ジャンセニスムを生む契機となった。ヤンセニウス。

ヤンセン【Janssen】

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヤンセン
やんせん
Cornelio Jansen
(1585―1638)

オランダのカトリック神学者。ユトレヒトとルーバンの大学で学び、1619年神学博士の学位を取得、30年からルーバン大学で教壇に立ち、聖書を講じた。36年イープルの司教に任命されるが、18か月後に死去した。
 当時、宗教・思想界では、恩寵(おんちょう)と予定の問題が激しい論争をよんでいた。この問題をめぐり、カトリック、プロテスタントを問わず多くの人々は、アウグスティヌスの権威に訴えているが、ヤンセンは、あまりに多くの人々がこの聖人の名のもとに、真実でない説を主張していると考え、恩寵に関するアウグスティヌスの真の考えを研究しようと決心する。その結果、恩寵を重視して人間の自由意志を否定し、神の予定を認めるに至った。22年間にわたる研究の成果として死の直前に完成、死後出版された主著『アウグスティヌス』(1640)は、多くの人に読まれ、フランスをはじめヨーロッパに広がるジャンセニスム(ヤンセン派)を生み出すこととなり、イエズス会との激しい論争をよび、ヨーロッパ宗教界に波瀾(はらん)を巻き起こした。[大谷啓治]

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20世紀西洋人名事典の解説

ヤンセン


ジャンセンをも見よ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典内のヤンセンの言及

【ジャンセニスム】より

…17,18世紀フランスの宗教,政治,社会に大きな影響を及ぼした宗教運動。字義どおりには神学者ヤンセン(フランス名ジャンセニウス)が主張し,ローマ教皇によって断罪された恩寵に関する教義を指すが,ヤンセンの支持者たち(ジャンセニスト)はそのような意味におけるジャンセニスムは実体のない幻影であるとして,教会当局さらには国家権力に抵抗した。したがってジャンセニスムは,たんにヤンセンの教説の枠を越えて,いわゆるジャンセニストたちの信仰,思想,行動の総体を指す呼称である。…

※「ヤンセン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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