オランダのカトリック神学者。ユトレヒトとルーバンの大学で学び、1619年神学博士の学位を取得、1630年からルーバン大学で教壇に立ち、聖書を講じた。1636年イープルの司教に任命されるが、18か月後に死去した。
当時、宗教・思想界では、恩寵(おんちょう)と予定の問題が激しい論争をよんでいた。この問題をめぐり、カトリック、プロテスタントを問わず多くの人々は、アウグスティヌスの権威に訴えているが、ヤンセンは、あまりに多くの人々がこの聖人の名のもとに、真実でない説を主張していると考え、恩寵に関するアウグスティヌスの真の考えを研究しようと決心する。その結果、恩寵を重視して人間の自由意志を否定し、神の予定を認めるに至った。22年間にわたる研究の成果として死の直前に完成、死後出版された主著『アウグスティヌス』(1640)は、多くの人に読まれ、フランスをはじめヨーロッパに広がるジャンセニスム(ヤンセン派)を生み出すこととなり、イエズス会との激しい論争をよび、ヨーロッパ宗教界に波瀾(はらん)を巻き起こした。
[大谷啓治 2017年12月12日]
スペイン領フランドル(現在のベルギー)のカトリック神学者。ラテン名ヤンセニウスCornelius Jansenius,フランス名ジャンセニウスJansénius。現オランダ領アコイの生れ。ルーバンさらにパリで学ぶが,そこでサン・シランと親交を結び,2人で聖書と教父の著作の研究に専心する。1617年祖国に戻り,ルーバン大学教授として研究,教育,大学行政に活躍し,36年にはイーペルの司教に任じられ,同地に没した。死後出版された主著《アウグスティヌス》(1640)において,イエズス会に代表される人間中心主義的神学とくにモリニスムに対抗して,神の絶対性を強調したアウグスティヌスの恩寵論を復興することを試みたが,これが激しい論争を引き起こし,彼はジャンセニスムの理論的始祖とみなされるに至った。ほかに《モーセ五書注解》《四福音書注解》,三十年戦争におけるフランスの対外政策を厳しく批判した《フランスの軍神》等の著作がある。
執筆者:塩川 徹也
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ジャンセンをも見よ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
…17,18世紀フランスの宗教,政治,社会に大きな影響を及ぼした宗教運動。字義どおりには神学者ヤンセン(フランス名ジャンセニウス)が主張し,ローマ教皇によって断罪された恩寵に関する教義を指すが,ヤンセンの支持者たち(ジャンセニスト)はそのような意味におけるジャンセニスムは実体のない幻影であるとして,教会当局さらには国家権力に抵抗した。したがってジャンセニスムは,たんにヤンセンの教説の枠を越えて,いわゆるジャンセニストたちの信仰,思想,行動の総体を指す呼称である。…
※「ヤンセン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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