山一抗争(読み)やまいちこうそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山一抗争」の意味・わかりやすい解説

山一抗争
やまいちこうそう

暴力団の山口組と、山口組から分裂した暴力団・一和(いちわ)会の間に起きた抗争事件。

 山口組の3代目組長であった田岡(たおか)一雄(1913―1981)の死後、1984年(昭和59)6月に山口組4代目組長についた竹中正久(1933―1985)を支持する勢力と、これに反対して一和会を結成した山本広(1925―1993)らの勢力との間の争いから生じた。1984年8月に起きた和歌山県串本(くしもと)町での刺殺事件を機に始まり、1985年1月に山口組組長の竹中が射殺されると抗争は激化、1989年(平成1)3月に一和会が解散して、ようやく抗争は終結した。

 1984年8月から1989年3月にかけて、全国で300件を超える抗争が起き、一般市民や警察官らにも負傷者4人が出た。一和会側で60人超、山口組側でも20人超の死傷者を出し、抗争による直接の逮捕者は560人に及んだ。

 山一抗争を機に、暴力団事務所の近隣住民などが巻き添えを食うおそれがあるとの社会不安が広がり、暴力団対策法が1992年3月に施行されるきっかけとなった。また、反暴力団の機運や暴力団排除運動が全国に広がり、各地で暴力団事務所の撤去が相次いだほか公衆浴場や、競馬場などの公共施設などへの構成員(組員)の立入禁止といった暴力団締め出しの動きが進んだ。

[矢野 武 2016年9月16日]

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