…こうした状況のなかで,1946年3月11日の日本産業協議会(日産協)準備会結成に続き,4月30日に秩父セメント社長諸井貫一をリーダーとする大企業の若手経営者を中心に同友会は組織された。初代の当番幹事は諸井のほか,日産協事務局長郷司浩平,同顧問帆足計。同友会の活動目的は,経済人としての職能的立場から日本経済の進歩と安定に寄与し,会員相互の啓発をはかることにある(定款)。…
…52年4月の日華平和条約締結を中華人民共和国政府は日本の敵対行為と激しく非難,これに対して日本政府は〈政経分離〉の方針をとり,貿易と限られた人事往来,文化交流しか認めない方針をとり続けた。
[民間交流]
民間の交流は,まず52年春に訪中した帆足計ら3人の国会議員が6月に北京で第1次貿易協定を締結して始まった(〈日中貿易〉の項目参照)。53年初めには,中国残留日本人の帰国援助に関する取決めが日本赤十字社と中国紅十字会との間でなされた。…
※「帆足計」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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