他家を訪問することは,ごく最近まで,日本人の社会生活のなかできわめて重要な役割を果たしていた。第2次大戦後もしばらくは,新年には親族や隣近所で年始の回礼をする習慣は,都市部でもひろく行われていた。こうした年始回りの大部分が,その後はがきによる年賀状に取って代わられ,急速にすたれたことに代表されるように,戦後における通信の急激な発達と未曾有の人口移動によって,訪問の意義も作法もすっかり変わってしまった。訪問すべき親族や知人たちはしばしばあまりにも遠方に住んでいるため訪問することが困難になり,一方ではほとんどの家庭に普及した電話が,訪問の代替的機能を果たすようになった。また,社交生活の商業化という現象も顕著であって,贈物などを届けるのもデパートなどが代行するのがむしろ一般的にさえなっている。
こうした傾向は,程度の差こそあれ,欧米諸国などの高度産業社会にはひとしく認められるものである。しかし,ヨーロッパでも産業化にやや後れをとっているギリシアやルーマニアなどでは,訪問はさまざまな機会になお頻繁に行われていて,不可欠と考えられている儀礼的訪問の数も多い。たとえばギリシアでは,名まえの日の祝い(たいていの人が聖人にちなんだ名まえをもっている)やクリスマス,新年,復活祭などの機会には,隣近所や友人・知己は祝福のために互いに訪問しあい,もてなしを受けるのがならわしである。そこではクリスマスカードなどを送る習慣はまだひろく普及しておらず,それを郵送することで訪問に代えることができるとも思われていない。また,ルーマニアの村では,12月31日の深更になると,村内の他家を次々に訪問し,祝詞をのべる風習がある。その際,他家に入る前に,窓のあるあたりに立って,相手の家族の人徳などをほめたたえ,あわせて新年の多幸を祈る韻を踏んだ即興の頌詞(しようし)を,凍(い)てついた空気の中を音吐朗々とうたいあげる。
元来ヨーロッパでは,都市の社会生活においても招待や訪問はきわめて盛んだった。それは季節の節々の祭日や,結婚,出産,病気,引越し,葬儀などの際の訪問のような,儀礼的訪問にかぎらない。かつては,社交界では,パーティや晩餐に招かれると,後日,手紙ではなく自身で先方の家におもむいて謝意を表するというしきたりさえあった。また,なんら用件はなくとも,知人であるかぎり定期的に訪問を交わすのが社交生活の大原則であり,そのための作法も,たとえ地方ごとに多少の差はあったにしても,はっきりと定められていた。訪問先に名刺だけを置いて帰るといった場合に,その端の折曲げ方や記入する略号によって来意を伝えるといった名刺の使用法などはその一例である。また,ふつうそれ自体が目的である社交的訪問は,主として一家の主婦の役割とされていたが,そのために定期的に面会日を設けることも一般的であった。こうした社交的訪問には,適当とされる時間や季節もあって,イギリスでは田舎に住むジェントリーがロンドンに出て過ごす冬のあいだが社交シーズンとされ,イタリアでも12月から5月までのあいだの平日が訪問のための時期とされていた。
しかし,こうした訪問を基軸とした欧米の社交生活も,はじめに現代の日本についてのべたと同様な社会状況の変化,さらには訪問の主体であり対象である家庭というもののもつ意味の変質によって,すっかり様相を変えるにいたっている。じっさい欧米でも,今日では特別な用事でもないかぎり,かつてのように昼間他家を訪問するといったことはめったになくなった。いまでは,ただバカンス(休暇)の季節が,遠くへだたり,多忙な知人たちが互いに訪問しあい,再会する時間的機会として残されているのみである。
→挨拶 →もてなし
執筆者:野村 雅一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
訪問は社会生活を構成する基本的な活動であるが、訪問にかかわる習俗や訪問形態は各民族文化によって多様である。家屋、村落、聖地などのいずれを訪問するにしても、訪問者は一定の境界や入口を越えて訪れることになる。換言すれば、境界を越えてほかの領域や空間に移行する行為を広義の訪問とみなすことができよう。この境界を示す指標は、門、敷居、橋などの建造物から、木、石、峠、河川など自然の地形を利用したものまでさまざまであるが、こうした建造物や場所にはしばしば聖性や象徴的意味が付与されていたり、重要な儀礼的役割を担っていたりする点は留意すべきである。これらの指標はまた、各文化の他界観や神話のなかで他界や神々の世界への入口を示す象徴としても登場する。日本の「三途(さんず)の川」や、霊魂が天国に通じる「審判者の橋」を渡るとされるゾロアスター教の来世観などは、その例である。
訪問の具体的な形式や規則は、各文化によっても、また訪問時の状況によっても異なる。一般に結婚式や葬儀、祭礼の際の儀式的訪問では、訪問者の衣服や色、訪問する時間などが文化的に規定され、一定の規則に従って訪問が実施される。また性別によって訪問形式に差異が生じる社会もある。アフリカのバントゥー系民族集団であるムポンド人の住居では、訪問者は円形の小屋の入口近くに座るが、その際、入口から向かって右側には男の訪問者、左側には女の訪問者が座る。だが同じくバントゥー系のボムバナ人では左右が逆転した座り方になる。また、沖縄地方の伝統的家屋には通常、門と母屋(おもや)の間にヒンプンとよばれる衝立(ついたて)状の石塀や板塀が設けられるが、訪問の際には、母屋に向かってヒンプンの右側から入るのは男性や外来者、公式の訪問、左側は女性や身内の者、私的な訪問という区別がされている。こうした形式や規則は、各民族文化の世界観と深く結び付いている。訪問の際に、挨拶(あいさつ)や握手を交わしたり、共食したり、物品や食物、たばこなどの嗜好(しこう)品を交換することも、訪問に付随する一般的行為といえよう。
見知らぬ者や異邦人の訪問を歓迎したり、あるいは逆に非常に嫌悪するといった相反する観念も広く認められる。西アフリカのタレンシ人では、異人の来訪に歓待を怠れば祟(たた)りがあると考えられており、同じくアシャンティ人でも異人の歓待は義務とされている。また逆にエチオピアのアムハラ人、メキシコのサポテコ人のように異人は邪悪な力をもつとされ、妖術(ようじゅつ)者や邪術者の疑いをもたれる社会もある。
[白川琢磨]
正式の訪問と、そうでない場合があるのは、昔もいまも同じである。正式訪問すなわち冠婚葬祭や盆、正月など昔から決まったおりの訪問は、これを怠ると義理を欠くということで非難を受けてもしかたがなかった。したがって訪問を受けるほうでも、あらかじめ心配りをしておくことが必要であった。これには地域社会ごとに、場合ごとに決まりがあった。訪問の際、持って行く品物も、昔は決まりがあって、正月ならば餅(もち)、盆ならばそうめんかうどん、関西地方では塩サバを添える決まりになっていた。また嫁いだ娘が盆のときに里の両親を訪ねることをイキミタマとよんでいる例は、神奈川県から山梨県にかけて多いが、これなどは盆の正式訪問の本来の意味を表したことばで、生きた親の御霊(みたま)への孝養の意とみられる。このときは小麦粉とカボチャを持参するのが古習で、ナベカリと称して里でこれを料理して共食するという。こうした正式訪問の場合、現在では玄関から入るが、昔の農家では大戸口から入り、出居(でい)とよんでいる座敷へあがって挨拶(あいさつ)をし、炉端に招かれるようなときは、客座についた。なお贈答は受けた側も返礼するのが当然の習わしであった。
[高野 修]
字通「訪」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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