かいふう‐まる クヮイフウ‥【快風丸】
江戸時代、貞享年間(
一六八四‐八八)、
徳川光圀が
建造した
巨船。元祿元年(
一六八八)二月崎山市内を
船頭として常陸国
那珂湊を出帆し、蝦夷地探検に
成功、一二月末、
帰港。長さ二七間(約四九・一メートル)、幅九間(約一六・三メートル)、
帆柱の長さ一八間(約三二・七メートル)、櫓六〇丁立の伊勢船型の
荷船だが、按針箱を設けて天文航海術も行なえるようにしてあった。元祿一六年(
一七〇三)解体された。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
快風丸
かいふうまる
貞享年間 (1684~88) ,水戸藩主徳川光圀が蝦夷地探検用として新造した大型船。長さ約 49m,幅約 16mで,安宅丸 (あたけまる) なきあとの日本最大の巨船であった。貞享4 (88) 年2月,那珂湊を出帆して蝦夷地探検に向い,松前から石狩方面を調査して 12月末に帰着した。これより先,第1船と第2船はともに失敗したので,第3船の建造にあたっては,大坂から船大工を呼び寄せ,また主要な乗組員も長崎や大坂の練達者を雇い,天文航法に通じた崎山市内を船頭としたのが成功に結びついた。元禄 16 (1703) 年解体された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報