那珂湊(読み)なかみなと

精選版 日本国語大辞典 「那珂湊」の意味・読み・例文・類語

なかみなと【那珂湊】

茨城県ひたちなか市東部の地名。旧市名。那珂川河口発達江戸時代水戸藩商港および海防上の要地として開発された。遠洋漁業基地で、水産加工業などの工場もある。昭和二九年(一九五四市制平成六年(一九九四勝田市合併、「ひたちなか市」となる。

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デジタル大辞泉 「那珂湊」の意味・読み・例文・類語

なかみなと【那珂湊】

ひたちなか市東部の地名。また、平成6年(1994)旧勝田市と合併して現市名となるまでの市名。那珂川河口にある。江戸と奥州を結ぶ中継港として栄え、近年は漁業・水産加工業が盛ん。乾燥芋を特産。

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改訂新版 世界大百科事典 「那珂湊」の意味・わかりやすい解説

那珂湊 (なかみなと)

茨城県東部の旧市。1954年市制。1994年勝田市と合体して,ひたちなか市と改称。旧市域は那珂川下流部左岸の台地,沖積地に位置し,東は鹿島灘に臨む。那珂川河口部にある中心街は,江戸時代,水戸藩による商港開設が発展の契機となり,水運の町として繁栄した。明治中期以後,水運が衰えたため漁業に活路を見いだし,漁港の整備が進められた。1951年以来,漁港の改築が行われたが,漁船大型化への対応が不十分なため,63年からは従来の河口港の下流に外洋港が建設され,あわせて冷凍・冷蔵施設,水産加工場も整えられた。カツオ,マグロ,サンマなど沖合・遠洋漁業を主体とした大漁港となっている。旧市域の大半を占める台地ではサツマイモの生産が盛んで,乾燥いもの特産がある。阿字ヶ浦,平磯は海水浴場として知られ,磯崎町には式内社酒列磯前(さかつらいそざき)神社が鎮座する。
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那珂湊の地名の初見は文和4年(1355)11月26日の〈六地蔵寺蔵写経奥書〉にあり,近世以前から湊村の呼称として使われた。大化(645-650)前代は仲国(なかのくに),大化以降は常陸国那珂郡に属し,平城宮出土の木簡によればワカメが貢進されている。古代には幡田(はた)郷,中世には戸田野(へたの)郷と称した。1426年(応永33)から江戸氏の,1590年(天正18)から佐竹氏の支配に属し,佐竹氏の秋田移封後は水戸藩領となる。江戸時代,水戸藩が軍事上・経済上の要地として重視したため大いに発展,東廻航路の中継地,藩内物資の集散地としてにぎわい,その経済力は水戸城下をしのぐほどであった。安政年間(1854-60)には反射炉2基が建設された。幕末,水戸藩争乱の際は最大の激戦地となり,甚大な被害を受けた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「那珂湊」の意味・わかりやすい解説

那珂湊
なかみなと

茨城県北東部、ひたちなか市東部の地区。旧那珂湊市。1954年(昭和29)那珂湊町が平磯(ひらいそ)町、前渡(まえわたり)村の一部を編入して市制施行。1994年(平成6)勝田市と合併して、ひたちなか市となる。ひたちなか海浜鉄道湊線と国道245号が通じる。貝塚や古墳群が多く、古代は仲国(なかのくに)、次いで那珂郡幡田(はた)郷、中世は江戸氏、佐竹氏の支配、近世は水戸藩に属した。奥州と江戸を結ぶ海運の中継港として栄え、イワシ漁業も盛んであった。国防上の要地として砲台、異国船番所、反射炉、郷校文武館などが置かれた。また、徳川光圀(みつくに)が夤賓(いんひん)閣を、歴代の水戸藩主が比観(ひかん)亭、観濤(かんとう)所をつくり、水戸八景の一つ「水門帰帆(みなとのきはん)」とした景勝地でもある。1864年(元治1)に始まった元治甲子(げんじかっし)の乱の激戦地ともなった。明治時代はたばこ製造業が専売法移行まで盛大を極めた。那珂川河口に那珂湊漁港があり、茨城県第一の漁業基地で、水産加工業が盛ん。北部の水戸射爆場跡地は、1989年(平成1)着工の常陸那珂(ひたちなか)港(現在は重要港湾茨城港の常陸那珂港区)や、1991年指定の国営ひたち海浜公園となった。大洗(おおあらい)県立自然公園に属し、阿字ヶ浦(あじがうら)は北関東最大の海水浴場。

[櫻井明俊]

『『那珂湊市史料』全7巻(1975~1982・那珂湊市)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「那珂湊」の意味・わかりやすい解説

那珂湊
なかみなと

茨城県東部,ひたちなか市の南東部,那珂川の河口左岸,太平洋にのぞむ地域。旧市名。 1994年勝田市と合体して,ひたちなか市となった。江戸時代は商港として繁栄。そののちも漁業によって発展し,現在は遠洋漁業の根拠地である那珂湊,沿岸漁業を主とする平磯,磯崎の3漁港がある。サンマ,サバ,マグロ,カツオ,イワシなどが水揚げされ,加工工場も多い。耕地の大部分は畑地で,養豚,養鶏も行われる。南部には湊公園や反射炉跡がある。平磯,阿字ヶ浦は海水浴場としてにぎわう。海岸一帯は三浜 (さんぴん) 地方と呼ばれ,大洗県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディア 「那珂湊」の意味・わかりやすい解説

那珂湊【なかみなと】

ひたちなか[市]

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世界大百科事典(旧版)内の那珂湊の言及

【那珂川】より

…河川改修が不十分であった第2次大戦前は茨城県内でたびたびはんらんによる水害が起こった。河口部左岸に位置する那珂湊は,江戸時代から明治初年まで東廻海運の中継港であり,那珂川舟運によって下野(しもつけ)地方とも結ばれ,物資集散地としてにぎわった。現在も,沖合漁業を主体とする漁港が開かれているが,人工港建設によって河口港としての性格は弱まった。…

※「那珂湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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