神谷伝兵衛(読み)かみや でんべえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神谷伝兵衛」の解説

神谷伝兵衛 かみや-でんべえ

1856-1922 明治-大正時代実業家
安政3年2月11日生まれ。横浜の外国人居留地でワイン製造法をまなび,輸入酒に甘味料などをくわえ蜂印の商標で販売。明治34年フランスでワイン醸造法をおさめた養子伝蔵とともに茨城県牛久でブドウを栽培し,36年ワイン醸造所牛久シャトーを建設した。大正11年4月24日死去。67歳。三河(愛知県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の神谷伝兵衛の言及

【焼酎】より

…これに対して,糖みつなどの農産物を原料としてこれをアルコール発酵させ,連続式蒸留機を用いて高純度のアルコールをとり,これを水でうすめてアルコール分36%以下にした酒を焼酎甲類と呼んでいる。乙類は本来のものの意味で本格焼酎ともいい,甲類は1899年に神谷伝兵衛がドイツから輸入した連続式蒸留機でアルコールを製造し,これに水を加えてつくったのが初めで,新式焼酎と呼ばれ,近年はホワイトリカーの名で親しまれている。ちなみに神谷伝兵衛は1882年〈蜂印葡萄酒(はちじるしぶどうしゆ)〉を発売,のちに東京浅草に神谷バーを開き,〈電気ブラン〉の名を高からしめた人物である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」