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川本幸民 かわもとこうみん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川本幸民
かわもとこうみん

[生]文化7(1810).摂津,三田
[没]明治4(1871).6.1. 東京
江戸時代末期の蘭学者。摂津三田 (さんだ) 藩医周安の子。名は裕,裕軒と号する。文政 12 (1829) 年6月江戸に出て足立長雋 (ちょうけい) ,坪井信道蘭方医学,蘭学を学んだ。天保5 (34) 年三田藩医となる。

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デジタル大辞泉の解説

かわもと‐こうみん〔かはもとカウミン〕【川本幸民】

[1810~1871]江戸末期の蘭学者。摂津の人。名は裕。医学のほか理化学・機械にも精通。三田藩医。のち、薩摩(さつま)藩校学頭・幕府洋書調所教授。著「気海観瀾広義」など。

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百科事典マイペディアの解説

川本幸民【かわもとこうみん】

蘭学者。名は裕(ゆたか),号は裕軒(ゆうけん)。摂津(せっつ)三田(さんだ)藩医川本周安の子。江戸に出て足立長雋(ちょうしゅん),坪井信道らに蘭学を学び,1856年蕃書調所教授手伝,1859年同教授職。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川本幸民 かわもと-こうみん

1810-1871 江戸時代後期の蘭学者。
文化7年生まれ。足立長雋(ちょうしゅん)に蘭方医学を,坪井信道に蘭学をまなぶ。天保(てんぽう)5年(1834)郷里の摂津三田(さんだ)藩(兵庫県)藩医となり,翌年江戸で開業。理化学に通じ,「気海観瀾広義」を翻訳・刊行し,天文・熱学・光学・電気・化学などを紹介・解説。安政6年蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授に任じられた。明治4年6月1日死去。62歳。名は裕。通称は周民。号は裕軒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

川本幸民

没年:明治4.6.1(1871.7.18)
生年:文化7(1810)
幕末維新期の物理・化学・蘭方医学者。摂津国有馬郡(兵庫県)三田の生まれ。名は裕,通称は周民のち幸民,号は裕軒。川本家は代々三田藩主九鬼家の侍医であった。9歳で藩校造士館に入学,のち医家村上家で医学を学び,文政12(1829)年藩命で江戸に遊学し,最終的に坪井信道の門下生となり,蘭学,医学を修業。一旦帰藩し三田藩医となる。天保6(1835)年再び江戸に出て医を開業,この年,青地林宗の3女秀子と結婚。翌年,真相不明の刃傷事件で6年間蟄居生活。シーボルト事件後の蘭学者の受難の時代,蘭学者としてむなしい心境を詩文に残している。以後,その心を晴らすごとく精力的に物理,化学,医学,軍事,産業分野の蘭書を翻訳し,西洋科学・技術の導入に力をそそぐ。46歳で蕃書調所の教授手伝い,その後教授,精煉(化学)方教授兼任となる。訳著書は『気海観瀾広義』(1851),『遠西奇器述』(1854),『兵家須読舎密真源』(稿本,1856),『化学新書』(稿本,1860)と多岐にわたる。<参考文献>川本裕司・中谷一正『川本幸民伝』

(菅原国香)

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世界大百科事典 第2版の解説

かわもとこうみん【川本幸民】

1810‐71(文化7‐明治4)
幕末の蘭学者。摂津三田藩医川本周安の三男。名は裕,字は幸民,号は裕軒。1829年(文政12)江戸に出て坪井信道らに蘭学を学ぶ。34年(天保5)藩医,翌年江戸で開業。56年(安政3)幕府の蕃書調所教授手伝,59年教授,62年(文久2)幕臣に列し,明治維新で辞官した。《気海観瀾広義》《遠西奇器述》《化学新書》等を著し,マッチビール銀板写真を試作するなど,西洋理化学の研究・紹介に尽くした。妻秀子は青地林宗の三女。

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大辞林 第三版の解説

かわもとこうみん【川本幸民】

1810~1871) 江戸末期・明治初期の蘭学者。摂津の人。江戸で足立長雋ちようしゆんに医学を、坪井信道に蘭学を学ぶ。医業のかたわら、窮理・化学を研究、写真・電信機・マッチ・ビールなどを試作。蕃書調所教授。著「気海観瀾広義」「化学新書」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川本幸民
かわもとこうみん
(1810―1871)

蘭学(らんがく)者、日本の化学の先駆者。摂津国(兵庫県)三田(さんだ)藩医川本周安の三男。名は裕、幼名敬蔵、通称周民のちに幸民、号は裕軒。1829年(文政12)藩命により江戸の蘭医足立長雋(ちょうしゅん)に学び、翌1830年坪井信道(しんどう)に入門して蘭語を修めた。1833年(天保4)藩医に任ぜられて江戸に住まい、1835年青地林宗の三女秀子と結婚。1836年刃傷(にんじょう)らしき事件のため藩邸に幽閉されたのち浦賀に蟄居(ちっきょ)したが、1841年江戸に戻り、医業と蘭学研究を続けた。1851年(嘉永4)から1856年(安政3)にかけて『気海観瀾広義(きかいかんらんこうぎ)』15巻を翻訳刊行し、岳父林宗の『気海観瀾』(1827)を大幅に増補して、天文、物性、化学、熱、電気、光などの物理現象を解説した。また1856年ころ『兵家須読舎密(せいみ)真源』訳稿を完成。これは砲術家のための実践的化学書であるが、原子論に立脚して定量的化学の基礎を述べたものである。また化学薬品の製造やマッチ、銀板写真、ビール、電信機の試作など実際的活動をも手がけ、薩摩(さつま)藩主島津斉彬(なりあきら)の知遇を得た。1856年蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授手伝となり、1859年教授職、1860年(万延1)精煉方(せいれんかた)設置とともにその中心人物となった。この間、初めて書名に化学の名を用いた『化学新書』を訳述し(1861完稿)、漢字の元素記号を用いて化学反応式を記した。1868年三田へ帰り、嗣子(しし)清一とともに蘭学と英学の塾を開いたが、1870年東京へ移り翌明治4年62歳で死去した。幸民の訳著書によって幕末期に原子論的化学の体系的学習が可能となったことの意義は大きい。[内田正夫]
『日本学士院編『明治前日本物理化学史』(1964・日本学術振興会) ▽川本裕司・中谷一正著『川本幸民伝』(1971・共立出版)』

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世界大百科事典内の川本幸民の言及

【化学】より

…化学の体系的な紹介は宇田川榕菴による《舎密開宗》(これはラボアジエの体系に基づく)の刊行(1837‐46)である。化学の系統的な教育は50年代の後半,蕃書調所において川本幸民を教授として始められた。このころから舎密は化学と呼ばれるようになった。…

【気海観瀾】より

…其の至微至細の極,復(また)析つ可からざるに至りて,而る後に一極微と為す〉とある。 23年後の1850年(嘉永3),川本幸民(林宗の三女秀子を妻とす)は,《気海観瀾》を増補し,漢文でなく国語(仮名交り文)で《気海観瀾広義》5編15巻を書き,51年から58年(安政5)にかけて順次出版した。〈凡例〉の冒頭に〈`ヒシカ’ハ和蘭ニコレヲ`ナチュールキュンデ’ト云ヒ。…

【蕃書調所】より

…そこでこれに対処するため洋学校の設立を図り,55年(安政2)に古賀増を洋学所頭取に任命し,翌年2月に洋学所を蕃書調所と改称,九段坂下の旗本屋敷を改修して校舎にあて,同年7月に開所,翌57年1月から開講した。教官の陣容は教授職2名で,箕作阮甫(みつくりげんぽ)(津山藩医)と杉田成卿が任命され,教授手伝に川本幸民(三田藩医),高畠五郎(徳島藩医),松木弘安(薩摩藩医)ら6名,ほかに句読教授3名が任命されたが,その後逐次補充増員されて幕末に及んだ。教官ははじめ陪臣が大部分であったから,彼らはいつ主家から呼び戻されるかわからず,そこで幕府は主要な洋学者を直参に登用することにし,62年(文久2)に箕作阮甫と川本幸民を直参に取り立てたのをはじめ次々と直参に登用している。…

【ビール】より


【ビールと日本人との出会い】
 日本人とビールの出会いとして記録に残っている最初のものは,1724年(享保9)の《和蘭問答》で〈麦酒たべみ候処,殊の他悪敷物にて……,名をびいると申候〉とある。幕末の蘭医川本幸民(1810‐71)は訳書《化学新書》の中でビールの製法を正確に記載しており,同人が日本で初めてビールを試醸したと伝えられるが確かではない。福沢諭吉は1865年(慶応1)《西洋衣食住》の中で〈又ビイルという酒あり,是は麦酒にて,其味至って苦けれど胸襟を開くに妙なり〉と述べている。…

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