苅藻島(読み)かるもじま

日本歴史地名大系 「苅藻島」の解説

苅藻島
かるもじま

[現在地名]湯浅町栖原

湯浅湾内にあり二島よりなる。明恵上人遺跡「苅藻島」として県指定史跡。「続風土記」に「地方より二十二町余海中にあり、明恵伝記には軽摩島と書す、立苅藻、横苅藻の二島連れり、共に明恵加持の地といふ、立苅藻は高さ三十六(間)、島廻り九町余、此島に東西へ貫きたる穴あり、小舟往来す、横苅藻は高さ十八間許、廻り四町あり」とある。二島のうち南にあるのが立苅藻、北にあるのが横苅藻。島の北部には頁岩が海食されて岩洞ができ、海水を通じている。両島とも高所に樹木が繁り景趣を添えているが、島のほとんどが輝緑凝灰岩で不毛である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「苅藻島」の解説

苅藻(かるも)島

和歌山県有田郡湯浅町、湯浅湾にある無人島。大小2つの島からなり、大きいほうを南苅藻島、小さいほうを北苅藻島という。

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世界大百科事典(旧版)内の苅藻島の言及

【湯浅[町]】より

…なお高山寺の明恵(みようえ)は湯浅一族の出身で,栖原(すはら)には明恵ゆかりの施無畏(せむい)寺があり,古文書を蔵する。白上峰や湯浅湾中の苅藻(かるも)島は明恵修行の地として知られる。【重見 之雄】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」