日本歴史地名大系 「栖原村」の解説
栖原村
すはらむら
[現在地名]湯浅町栖原
北は
中世には湯浅庄に属し、嘉禄二年(一二二六)八月一一日の紀良孝等連署田地売渡状(施無畏寺文書)によれば「湯浅御庄須原村之内横杭」にある田二段一二〇歩が紀良孝から高野山慈尊房に売却され、その四至は「限東山、限西佃ノナワテ、限南畑五郎之堺、限北保田殿之作」とある。また寛喜三年(一二三一)四月日付湯浅景基寄進状(同文書)には「巣原」、建治三年(一二七七)六月一八日付僧宗弁在庁講庁職寄進状(同文書)には「栖原」とみえ、中世には三通りの表記があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報