日本歴史地名大系 「有田郡」の解説
有田郡
ありだぐん
有田川および広川流域、西は紀伊水道から東は奈良県境までがおよその郡域であるが、平地(耕地)は両河川の下流域や湯浅湾岸にみられる程度で、全体に山がちの地形。最高峰は奈良県境にある郡海水変如
血色
、経
五日
乃復」と所見。こうして古くは阿提・安諦・阿
の字が用いられたが、大同元年(八〇六)七月七日、時の平城天皇の名「安殿」に近いことから、「在田郡」と改められた(日本後紀)。中世以来、「有田」の文字を混用する。なお「在田」の由来については、「続風土記」は、「古事記」中巻に「木之荒田郎女」、「日本霊異記」下巻に「安諦郡之荒田村」があり「荒田・在田其称近き時は在田は旧荒田にして取りて郡名とせられしより其地名は改りしならんか」とする。荒田村の現地比定は困難であるが、考慮すべき所説であろう。近世、和歌山藩は郡名公称を在田としたが、明治以後は有田となった。
〔原始〕
有田川流域の人間の生活の痕跡は、吉備町
弥生時代に入ると、水田適地を得られやすい吉備町以西が遺跡の中心地となる。なかでも吉備町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報