《ウナム・サンクタム》(読み)うなむさんくたむ

世界大百科事典(旧版)内の《ウナム・サンクタム》の言及

【アナーニ事件】より

…アナーニAnagniはローマの南東約60kmの所にあり,教皇ボニファティウス8世の生地であり,彼の別邸があった。聖職者に対する課税問題でフランス王フィリップ4世美王と1296年以来対立していた教皇は,1300年の聖年祝祭の成功に自信を強め,02年教書《ウナム・サンクタム》によって,教皇の霊的な権威が国王の現世的な権威に勝ることを両剣論に基づいて主張した。フィリップ4世は03年3月三部会を召集し,教皇への非難を数えあげ,公会議において教皇の異端嫌疑を審議するよう提案した。…

【キリスト教】より

…この間,教会法はグラティアヌスのようなすぐれた学者をえて発達した。 教皇ボニファティウス8世(在位1294‐1303)が1302年に与えた教書《ウナム・サンクタム》は,教皇がキリストの代理者として霊界と俗界の二つの剣をもつこと,すなわち,後者を行使するのは王と騎士であっても,命令を下すのは教皇の側にあることを主張し,こうして〈すべての人間は霊魂の救いをまっとうすべくローマ教皇に服従すべきである〉と宣言した(両剣論)。もちろん,二つの剣は真っ向からぶつかるのではなく,世俗の権威もまた創造者たる神によって与えられているゆえに矛盾はないと考えているが,けっきょく教皇が失敗して世俗の権威を放棄せざるをえなくなるまで,教皇は世俗のことに介入しすぎたのである。…

【ボニファティウス[8世]】より

…イタリアでは領地問題でローマの貴族コロンナ家と争い,彼らを武力で制圧した。1300年盛大な聖年祭を開催して教皇の威信を高めたが,翌年フランス国王との対立が再開し,教皇は02年教書〈ウナム・サンクタム〉によって俗権に対する教権の超越的権威を主張したが,フィリップは03年ローマとの和解を拒否した。教皇はフランス国王への破門状を用意したが,国王は先手を打ち,彼の有力な顧問官ノガレGuillaume de Nogaretは傭兵とコロンナ家の私兵を用いてアナーニに教皇を襲って監禁した(アナーニ事件)。…

※「《ウナム・サンクタム》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」