アジアの嵐(読み)アジアのあらし(その他表記)Potomok Chingis-Khana

改訂新版 世界大百科事典 「アジアの嵐」の意味・わかりやすい解説

アジアの嵐 (アジアのあらし)
Potomok Chingis-Khana

エイゼンシテインと並ぶソ連の映画監督・映画理論家V.プドフキンの名作。1928年製作。革命後のソ連の課題の一つであったアジアの民族解放闘争をテーマにしている。〈チンギスハーンの後裔(こうえい)〉(ロシア語原題)に祭り上げられたモンゴルの青年(ワレリー・インキジノフ)が,やがて民族の自覚に燃えてイギリス帝国主義に闘いを挑む。ラストの反乱シーンには交響楽的な激しいモンタージュが用いられ,まさに〈嵐〉のような圧倒的な効果を上げている(全編で2000に近いこの映画のカットのうち,471カットがこのモンタージュに費やされた)。日本では帝国主義一色の30年に大幅なカットと字幕改変をうけて公開され,〈米英撃滅〉の主題にすり替えられたが,大ヒット。トーキー版が60年に再公開されている。
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デジタル大辞泉プラス 「アジアの嵐」の解説

アジアの嵐

1928年製作のソ連映画。監督:フセボロド・プドフキン、出演:ワレリ・インキジノフ、アナトーリ・デディンツェフほか。

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世界大百科事典(旧版)内のアジアの嵐の言及

【プドフキン】より

…25年,最初の監督作品としてパブロフの条件反射学説の科学ドキュメンタリー《頭脳の機能的構造》をつくる。つづいてゴーリキーの小説をもとに,ダイナミックなモンタージュで知られる《母》(1926),エイゼンシテインの《十月》と並ぶ革命10周年記念映画《聖ペテルブルグの最後》(1927),モンゴル民族の解放闘争を描いた《アジアの嵐》(1928)によってソビエトのみならず世界映画の先頭に立つ。《母》の製作中に〈モンタージュ〉の理論的体系化に着手し(のち1928年にこれを改訂したものが《映画監督と脚本論》としてベルリンで出版された),28年,まだトーキーを製作していなかったソビエトでエイゼンシテイン,アレクサンドロフと連名の〈トーキーに関する宣言〉を発表して,新しい映画形式の進むべき道は映像と音の対位法的処理にあることを示した。…

※「アジアの嵐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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