ギリシア語のエトノスethnos(ドイツ語やロシア語では,ふつうこの語形を用いる),それから派生した英語のethnic groupあるいはethnic unitに対応する学術用語であるが,日常用語としても用いられる。多くの民族学者(文化人類学者)の考えでは,民族とは次のような性格をそなえた集団である。第1に,伝統的な生活様式を共有する集団である。つまり語族や語群が言語の系統分類にもとづき,人種が身体形質を基準とした分類であるのに対して,民族は文化にもとづいて他と区別される集団なのである。第2は,人種や語族が,形質や言語系統という客観的な基準にのみよっているのに対し,民族は,伝統的文化の共有という客観的基準のほかに,〈われわれ意識〉という主観的基準が加わっていることが特徴になっている。つまり〈われわれは日本人(日本民族)であって中国人(漢民族)ではない〉という〈われわれ意識〉である。第3は,民族とはけっして固定したものでなく,歴史的に生成され,変化をとげていくものである。このような民族の歴史的性格の探求のなかで,民族形成(起源論)が,ことにその民族に属する学者や一般人の関心をひくのは,自民族のアイデンティティを明らかにしようとする欲求に支えられているからである。
民族形成は,ふつう長期にわたる過程であって,さまざまな要因がこれにかかわっている。完全に孤立して存在してきた民族は事実上存在しないが,このことは同時に,一つの民族は,ふつう複数の構成要素を含んでいることを意味する。複数の文化複合を含むばかりでなく,しばしば担い手としての集団あるいは個人の移住,混血が民族形成の過程の一部をなしている。したがって,民族形成における重要な時期としては,おもな構成要素が勢ぞろいした時期がある。たとえば中央アジアのトルクメン族の民族形成は,G.P.ワシリエワの説によれば,土着のイラン語系およびトルコ語系の先オグズ民族が住んでいた地方に,オグズ・トルコ族の主体がセルジューク・トルコ族とともに定住するようになり(11世紀),しだいに先住民と融合して,14~15世紀には,トルクメン族の民族形成の過程は本質的には終わったという。日本民族に関しては,第1に弥生時代以来の水稲耕作文化複合,第2におそらく古墳時代のうちに朝鮮半島経由で入ってきたと思われる支配者文化複合,第3に5世紀ごろから,7世紀にかけての朝鮮や中国からの多数の渡来人,などのおもな構成要素がそろった時期,つまり奈良時代の初めごろが,民族形成にとって重要な時期と考えられる。民族とは,上にも述べたように,たんに文化的伝統を共有するばかりでなく,〈われわれ意識〉をもつ集団である。したがって,民族の形成には,おもな構成要素がそろって,文化的共同体ができるだけでなく,意識共同体としても成立することが必要な要件である。日本民族の場合,この観点からしても,奈良時代の初めごろが重要な時期だと考えられる。その理由は二つあり,第1は,古墳時代以来の政治的統合の進行に伴って,日本列島の大部分の住民が単一の国家に属するようになったことである。第2は,異民族との対決である。〈われわれ何人(なにじん),何民族〉という意識は,われわれ以外の他民族と接触することによって生じ,成長する。とくにその接触が摩擦,ことに武力による対決を含んでいるような場合に,共属意識は尖鋭となり高揚する。663年の白村江の戦で唐・新羅連合軍に敗れ,日本列島にとじこもるようになったこと,また奈良時代には日本列島の北には蝦夷(えぞ),南には隼人(はやと)というように,当時の中央の人々から異族として意識された人々が住み,ことに蝦夷とは武力衝突を繰り返していたこと,などの状況は,われわれ日本人という意識が,少なくとも中央の上層部に発達するのに適した状況であった。日本民族というべきものの形成にとって,奈良時代の初めごろは,決定的な時期だったといえよう。
民族の要件の一つは,伝統的文化の共有である。しかし,民族の分類,共属意識の形成にとって重要なことは,特定の民族の文化が,他の民族の文化といかに相違しているか,何が区別の標識になるか,である。したがって,伝統的な生活様式のすべての要素が同じように重要なのでなく,そのうちの特定の要素が選択されて重要視され,ときには民族の象徴となる。南インドのニルギリ丘陵ではバガダ族だけがターバンをつけており,これがバガダ族の象徴となっている。このような象徴の選択も固定的でなく,置かれた状況に適したものを,過去の伝統的文化のなかから選ぶのである。このような象徴は,ふつう民族間の境界を維持する機能を有するが,特定の他民族との親近性,あるいはそれへの同化に便利な文化要素を選択することもありうる。民族間の関係にとって重要な要因としては,支配被支配の関係の有無,人口,通婚関係,技術的水準の上下,特定の職業の専門集団化,民族間競争,当事者民族相互間における主観的な文化の優劣などがある。
執筆者:大林 太良
政治学の観点からみた民族nationとは,文化的シンボルによって統合された政治的共同体を意味している。したがって,政治権力によって操作されるシンボルにすぎない,という意味において民族は政治的虚構であるが,同時に,そのシンボルは政治統合のために欠かすことができない,という意味ではこの虚構も政治的実体をもっている。一般に,集団の単位が地縁的・血縁的共同体に近いほど民族の虚構性が薄れ,文化的実体と重なりあう。逆に,集団の単位が大きいほど政治的虚構に近づき,その極致が国民国家nation stateにほかならない。
近代国家が文化的シンボルに依存する,という逆説は多くの論議を招いてきた。近代化とコミュニケーションの増大とによって家族,宗教等伝統的に人々が帰属してきた対象が弱体化し,そのために忠誠の対象はより上位のシンボルに移動して,その結果として国民意識nationalismが成立すると従来は考えられてきた。しかし発展途上国の多くをみると,新しいコミュニケーション形態がむしろ伝統的アイデンティティを強化して,国民意識どころか国家に対抗するイデオロギーを生み出している例も多い。このように国民意識が成立する条件とは何か,について明確に回答することは難しいが,少なくとも,〈民族〉あるいは〈国民〉(いずれもnation)が〈下から〉形成されるばかりでなく,〈上から〉操作されるシンボルでもある点を忘れてはならない。日本の国家主義を例にひくまでもなく,政治権力が〈民族〉シンボルを用いる場合,特定の政治的・経済的目的を達成するために民衆を動員する手段としての側面をもっていることは否定できない。また,少数民族の運動をとっても,地縁集団に近いことから擬制の度合が小さいとはいえ,〈民族〉シンボルが運動内部のリーダーシップによって操作される,という事情は共通している。
→ナショナリズム
執筆者:藤原 帰一
民族の概念は,文化人類学,社会学,政治学,社会地理学などにあって,その定義づけは多少ともずれを示し,かつまた,その解釈は多義的である。民族は,たとえばnation,national group,ethnic group,ethnographic group(英語),Nation,Nationalität,Volk,Völkerschaft,Volkstum(ドイツ語)などの用語によって表意されてきた。だが〈日常において使用上,すこぶる陳腐となったあらゆることばのように,Volk,Völkerschaft,Volkstum,Nation,Nationalitätという名辞もまた,明確に輪郭づけられた概念をもつものではない〉(G.A. ズーパン)のである。また,民族をethnographic groupであるとし,〈民族ユニットnation unitは,社会的・文化的要素により統合される。したがって,民族は共属の感情を有する人々の集団〉(S.V.ボルケンバーグ)とする見解もある。この見解は,たとえば,国家が成立することによってVolkはNationになるという,政治的民族概念の考え方に近い。この立場は,民族が前近代的あるいは無自覚的状態から,近代的・覚醒的状況への前進--つまりフォルクからナツィオーンへの前進--を説くものと同一である(W. ミッチャーリヒ)。民族が〈自立への志向〉の契機としての民族意志と,その発展への願望をふるい起こし,そこから国家形成へと至るのが常道であった,とする立場もある(H. チーグラー)。従来の社会学的解釈によれば,民族の特性は,それを客観的な指標に求める立場と主観的な指標に求める立場に大別される。前者,つまり民族の客観説は,土地共同体,血縁共同体,文化共同体,運命共同体に民族の特性を求め,後者,つまり民族の主観説は,民族意識,民族感情あるいは民族としての集団意志などを強調している。
いずれにせよ,民族の定義には,以上に概観したように,さまざまなものがあり,それぞれが提唱者の理論的,政治的,イデオロギー的な選好を反映している。もちろん,唯物論的立場によれば,民族は国家以前には存在せず,それは政治的・法制的制度としての,イデオロギー機関としての,国家によって創造されたものと主張される。つまり,唯物論的立場からすれば,民族は国家形成につづいて生まれ,国家形成のための先行条件ではありえないのである。19世紀ドイツのロマン主義的な歴史学者や歴史哲学者は近代国家によって実現した〈民族精神Volksgeist〉(個々人の精神を超越した精神)を説き,近代国家の形成に寄与したが,これはフォルクとしての民族を前提的に認めた立場であった。多様な民族概念は,そのいずれもが,それぞれにニュアンスの相違がみられるとしても,一定の地理的・経済的・社会的空間における単一支配階級による権力確立を認めているといえよう。
ところで,資本主義的商品経済の浸透や交通・通信手段の発達,国民経済の成立と中央集権国家の出現は,民族を基盤とする政治的意志共同体としての国民社会を形成し,そこに民族(国民)国家nation stateを生んだ。現代は,まさに民族国家の時代なのである。断るまでもなく,民族と国家は,必ずしも一体ではない。一民族一国家の形態における単一民族国家mononational stateに対し,多民族国家multinational stateもあり,国家なき民族(パレスティナ人),国家が分断されている民族(朝鮮人)もある。こうした現実を抱えつつも,人類は民族国家理念を重視する。
〈現代世界にあって,われわれが全社会的共同体societal communityないし民族nationと呼んできているものが,しだいにエスニックethnicの同質的な実体性の度合を減じているという,基本的に重要なポイントにさしかかっている〉(T. パーソンズ)のである。エスニック集団という概念や〈エスニシティethnicity〉という概念は,現代世界の民族や民族問題を考えるうえで,無視しえない。なお,エスニシティとエスニック集団は,従来,〈民族性〉とか〈民族的〉あるいは〈種族的〉と邦訳されてきた。一説によれば,エスニックという用語は,元来,ある民族とくに異教徒民族pagan nationに対して用いられた(G.D.ミッチェル)。現代の傾向としては,〈社会科学者たちが,“エスニック集団”という用語の使い方を拡大して,下位集団や少数派集団minority groupだけでなく,文化と血統による特異な差異感という特性をもった,ある社会に属する全集団をいいあてようとする〉(N.グレーザー,D.P.モイニハン)ものである。この用法では,エスニック集団は,民族よりも広い意味をもち,ドイツ人,ユダヤ人,ジプシー,ピグミー族,トロブリアンド島民などはそれぞれ1個のエスニック集団である。
民族に代わるエスニック集団概念は,なぜ現代にもち込まれるのであろうか。それは,〈さまざまな国に住み,さまざまな環境にかこまれている人々が,それぞれの集団の特異性とアイデンティティの意義を主張し,さらにこの集団の性格から派生する新しい権利を主張する傾向が,明確な形をとり,また急速に増大する状況が存在している〉(グレーザー,モイニハン)からなのである。定義の規準しだいでは,300~600のエスニック集団が存在する。この事実は,民族国家の数をはるかに超えることになる。ちなみに,国連加盟の独立国は150を超えるにすぎない。
既成の民族理念からすれば,エスニック的多元主義は拒否される傾向にある。だが,旧ソ連,旧ユーゴスラビア,中国は,領土内の複数の民族性nationalitiesを承認した。民族と民族性の区別は,社会主義諸国では一般化されているが,欧米諸国にあっては,エスニック的な同質化が目ざされ,それこそが民族的統合への過程とされた。現実には世界の過半数を占めるエスニック的に異種混合の社会にあって,あるエスニック集団による他のエスニック集団の支配が生まれた(エスノクラシーethnocracy)。その結果,たとえばアメリカ合衆国は“同化”政策を推進したのだが,民族統合の理念は,その複雑さのために解決の糸口を見いだせずにいる。
エスニック的同質性を掲げて民族統合を目ざせば,ときに民族イデオロギーとしての人種主義を標榜するナショナリズムが生まれる。たとえば,ナチスのユダヤ人排斥がそれである。ナショナリズムと人種主義は異質なものだが,人種主義はナショナリズムをのみこむことすらある。
民族問題もエスニック問題も,それが発生する条件によって多様な形態を示す。それらをおおまかに区分すれば,次のようである。(1)政治的イデオロギーや宗教的対立によって,同一民族(あるいは同一エスニック集団,以下同様)が2国家を形成する場合,(2)多民族国家内での多数派・支配派民族による少数派民族の支配・抑圧による場合,(3)多民族国家内での,少数派民族の多数被支配集団支配・抑圧から生ずる場合,(4)植民地・従属国の先住被支配民族と宗主国支配集団との間に生ずる場合などである。現代の民族問題ないしエスニック問題を列挙すると,インド亜大陸の混乱(インド,パキスタン,バングラデシュ),ナイジェリアのビアフラ戦争,ルワンダやブルンジにおけるフトゥ族とツチ族の抗争,イラク,イラン,トルコにおけるクルド族の反乱,レバノンの悲劇とアラブ・イスラエル紛争,ユーゴスラビアのコソボ地方(現,コソボ共和国)のアルバニア人問題,スペインにおけるバスクやカタルニャの地方自治問題,ベルギーにおける二つの言語問題,北方アイルランドのカトリックとプロテスタントの対立,カナダのケベック問題,スリランカのシンハラ人とタミル人の対立,アメリカ合衆国多数派(ワスプ=白人,アングロ・サクソン,プロテスタント)による少数派集団(黒人,ラテン系ないしスペイン語系,東洋系)の支配,南アフリカ共和国における支配集団白人の最近まで続いたアパルトヘイト,ラテン・アメリカにおける先住インディオの問題等々。
かつて,民族主義イデオロギーの美名のもとに,少数派民族やエスニック少数派はジェノサイドgenocide(大量殺戮(さつりく))にみまわれた。その犠牲者は,アルメニア人,ヨーロッパ系ユダヤ人,南アメリカのインディオなどであった。エスニシティを重視する立場からすれば,あるエスニック集団の文化的アイデンティティの破壊政策,つまり民族的連帯の名によるエスニック集団の文化的抹殺=エスノサイドethnocideが行われたことになる。エスノサイドは,自然的ないし内発的な過程である文化変容acculturationや文化変動cultural changeとは明確に区別される。エスノサイドは,フランスにおけるブルトン語,コルシカ,オック語系の諸地方での政策,フランコ独裁下のスペイン政府の対カタルニャ人政策,アイルランド,スコットランド,ウェールズへのイングランドの対応,先住インディオへの大半のラテン・アメリカ諸国の対応,中東・北アフリカ諸国における非アラブ系少数派へのアラブ化強制政策などである。
執筆者:今野 敏彦
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あえて定義すれば、他の集団から区別されるなんらかの文化的共通項を指標として、互いに伝統的に結ばれていると自ら認める人々、もしくは他の人々によってそのように認められる人々、といえる。この場合、文化的指標とは土地、血縁、言語などの共有意識や、宗教、神話・世界観、社会組織、経済生活、その他の生活様式のあらゆる領域のなかから、当該の人々にとって意味のある指標として選択される多様な基準を意味する。学術上、人種は人間の身体的特徴を基準にした人間範疇(はんちゅう)設定の試みであるのに対し、民族は基本的に、文化的特徴を指標にした人間範疇であるとして区別されるが、民族観念も人種観念も、いずれも人間による人間自身の分類行為の一つであり、それ自体が文化の所産にほかならないということを忘れてはならない。
学術上の民族分類が言語を基準にして行われることが多いのは、共通の言語が民族成員間のコミュニケーションを可能にする大前提としてあり、また言語が人々の思考様式や心性と密接にかかわっていると考えられるからである。民族意識の覚醒(かくせい)において民族言語が重視されることが多いのも、おそらくこのことと関係している。しかし、たとえば言語を指標とした「ゲルマン民族」とか「ラテン民族」といったなかば通俗的ともいえる大範疇からは、社会組織や経済生活などの文化要素は論理的に捨象されていることに注意しなければならない。同様に、「農耕民族」「遊牧民族」あるいは「騎馬民族」といった粗雑な範疇は、固有名詞をもつ個別的な民族に言及するものではなく、文化要素のうちでも、とくに生業形態や生活様式の重要性に着目した人間分類であり、この用語法から、安易にその他の文化要素にまでも共通性を想定することは避けるべきである。
[富沢寿勇]
「未開民族」といった、「民族」の用語法のうちでも極端な粗さを伴う大範疇は、「文明」に属すると意識する人々による、文明対未開という二項対立思考に基づく人間分類の端的な例である。とくに「地理上の発見」を契機とした西欧人たちに、この傾向が顕著にみられたのであり、また時代をさかのぼって古代ギリシア人が使ったバルバロイbarbaroiということばは、言語の通じない異民族への蔑視(べっし)の観念に基づいていたらしい。また、中国においては古代の南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)をはじめ、猺(ヤオ)、(リャオ)、(トウ)、(ロロ)、蛋民(たんみん)などのように、人間以下の存在である獣や虫の意を加えて、周辺の異民族の名称を表した文字が、何千年にもわたって用いられた。古代日本においても、辺境の異民族に対して蝦夷(えみし)、熊襲(くまそ)、隼人(はやと)などのように動物を表す字をあてて記されたし、室町時代以降の南蛮人などの表現にも、同様の発想が推測される。このような思考を自民族中心主義(エスノセントリズムethnocentrism)というが、これは古今東西にわたり、けっして珍しい現象ではなく、むしろあらゆる人類社会にほぼ普遍的にみられるものである。
そもそも人類という概念を、われわれが今日理解する意味でもつようになったこと自体、歴史的にけっして古いことではない。世界の諸民族の多くにおいて、民族名称(自称)自体が、その民族の土着語で動物からは区別されるヒトを意味することが、この事実を裏づけている。たとえば、北海道・樺太(からふと)(サハリン)の「アイヌ」、台湾の「アタヤル(タイヤル)」をはじめ、アフリカの「バントゥー」やカナダ極北域エスキモーの「イヌイット」などがよい例である。ともあれ、西欧人による大航海時代を経て、さらに交通、コミュニケーション網の発達により、多種多様な諸民族、諸人種間の出会いが飛躍的に増加するようになったが、同時に、人類の多様な存在形態にもかかわらず、その根底には他の生物からは明瞭(めいりょう)に区別される共通項が認識されるようになってきた。とくに18世紀の中ごろ、リンネが人間にホモ・サピエンスという学名を与えて、これを単一の種と規定したのは画期的なことである。しかも18世紀の末ごろまでには、地球上のあらゆる地域の人々の存在が確認され、今日的な意味での人類という概念が名実ともに成立したといってよい。もちろん、それ以前から現在に至るまで、特定の人々によって異質ととらえられた民族・人種への言及や記述は盛んに行われている。その際、民族と人種の学術上の区別が、かならずしも明瞭に意識されていたわけではない。たとえば、ある特定の人間社会の記述に、人々の肌の色や頭、髪などの形状や身長などの身体的特徴と、地理上の居住空間、衣装、倫理観、知性、言語、宗教および生業形態などが併記されていた例は少なくない。
[富沢寿勇]
現代においては、人類は個々の国家という政治的枠組みによって、大分割されているともいえる。国民(ネイション nation)を、このような国家の成員と規定すれば、それはおのずから政治的ニュアンスの濃厚な社会範疇であるということになる。しかし、独立国家の枠組みの下に国民形成が進行し、国語や国民文化あるいは国民意識とかいえるものが創出されるようになると、国民が民族の様相を帯びるようになり、実際、同義的に認識されるような例は少なくない。もちろん、民族と国民とは、今日の世界の現実を把握するためには、原理上、峻別(しゅんべつ)しなければならない。なぜなら、さまざまな歴史的状況や社会体制とも絡んで、民族の境界と近代国家の境界とは一致しないことが普通であり、また、単一国家のなかに多数の民族が共存する事例は非常に多いからである。いわゆる複合民族国家においては、特定の民族集団(エスニック・グループ)と、普通は文化的に異質ながら、それを包摂する全体社会(国家)との関係や、あるいはまた、国家運営の主導権を握る多数民族などと他の諸集団との関係のあり方が、当該集団にとっても、当該国家にとっても、きわめて重要な意味をもつ。
民族は、本質的に民族範疇として存在すると考えられるが、繰り返し述べているように、これは民族自身による自覚か、あるいは、他集団による認識が契機となるものと考えられる。しかし、民族というものが現実に活性化し、具体的に意味をもちうるのは、直接的にせよ、間接的にせよ、外部とのなんらかの関係を通じて、民族自身が自己の存在(の特殊性)、あるいは、いわば民族意識と一般によばれるものを自覚したときであることはいうまでもない。このような民族の自らの認識とそれに依拠した象徴的行為の体系が一般にエスニシティ(ethnicity)とよばれる現象である。民族の境界設定に用いられる指標は、社会生活全般に及ぶこともあれば、社会生活の特定分野に限定される場合もある。具体的には、たとえば衣服、言語、家屋形態、一般的生活様式などのように明示的なものから、価値観、倫理観、行為基準などに至る文化内容のなかから、民族あるいはエスニシティの基準となる文化特徴が象徴として選択されているといえる。重要なのは、異なる民族範疇の間で、人員の個別的移動、接触、婚姻、同化、等々の現象が生じても、また、民族あるいはエスニシティの指標となる文化特徴自体が歴史的に変容しても、民族範疇というものが存在し続ける限りにおいて、成員と非成員(ヨソ者)との間の二分化作用は持続するということである。総じて、民族というものを定義する場合、それが血のつながりや祖先伝来の土地、言語などの何らかの本源的、不変的な実体によって定義されるという説(本源論essentialistあるいは原初論primordialist)と、それが社会的・歴史的状況のなかで定義、再定義を繰り返していくものであり、極端な場合、民族は「発明」されさえするという説(状況論cricumstancialist)という二つの大きな立場がある。注意を要するのは、状況論的に成立した民族も、血や土地や言語による結び付きを実体化あるいは本源化していく現象は少なくなく、ここに今日の多くの民族問題の微妙にして重要なる論点が隠されているともいえる。
[富沢寿勇]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
ふつうは,人類を言語,社会経済生活,習俗などの特徴によって分類した場合に使われるが,たんに言語の相違にもとづく分類である語族や,国家の所属によって分類する国民を民族と称する場合もある。肉体的特徴による分類である人種とは明らかに違うが,これとすら混同して使われる場合も多い。民族は古くから存在したが,民族という自覚は,近代社会の発展のなかで強まった。日本では,近代以前から民族と国民が同一視されていたが,近年アイヌ民族の独自性が認められた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…卒業前柳宗悦の影響を受け,卒業後,柳田国男門下となる。25年,岡正雄とともに柳田の《民族》創刊に協力。46年東大講師,49年東京教育大学教授となる。…
…現在,地球上に生息する人類を,形態学的な差異あるいは遺伝学的特性に基づいていくつかのグループに分けて人種と呼ぶが,人種の起源や人種間の系統的類縁については明らかにされていない点が多い。また人類を文化の差異によって分け,同じ文化を共有する人々をまとめて民族と呼ぶ。人種を考える場合には人類の系統的・発生的側面に,また民族を考える場合には生活面を重視しその地縁的・文化史的側面に着目することになろう。…
…文化人類学(民族学)は民族誌的調査にあたって,その研究対象とする人間集団を指して恣意的に部族と呼びならわしてきた。よく似た語に種族,民族がある。…
※「民族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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