アステカ王国(読み)アステカおうこく(その他表記)Azteca

旺文社世界史事典 三訂版 「アステカ王国」の解説

アステカ王国
アステカおうこく
Azteca

14世紀から16世紀初めにメキシコで栄えたインディオ(先住民)の王国。アズテック(Aztecs)王国ともいう
アステカ族遊牧民の出であるが,メキシコ高原に定着後は先進諸文化の遺産を継承し,15世紀初めにはテノチティトラン(現メキシコシティー)を首都とする大統一国家を建設した。遺跡遺物が多く残り,さらにスペイン人の記録により,その歴史・文化は中央アメリカ諸文化中,最もよく知られている。軍事的指導者たる国王と神官階級による神政が行われ,象形文字を用い,天体観察にもすぐれていた。壮麗なピラミッド神殿・宮殿・美術品を造り,高度の文化を持っていたが,スペイン人コルテスにより1521年に滅ぼされた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアステカ王国の言及

【コルテス】より

…コスメル島を経てユカタン半島をメキシコ湾岸沿いに進み,タバスコでインディオ女性マリンチェを贈られた。4月,サン・フアン・デ・ウルアに達し,アステカ王国の情報を得て,ベラクルス市を建設後,国王カルロス1世にアステカ征服の許可を求める書翰を送る。8月,内陸へ進軍し,途中アステカ族と対峙するトラスカラ族を味方とし,チョルラでの激戦ののち,11月アステカ王国の首都テノチティトラン(現,メキシコ市)に入り,モクテスマ2世を幽閉。…

【メキシコ】より

…【田嶋 久】
【社会】
 国民の8割以上が白人(主としてスペイン人)と先住民(インディオ)との混血(メスティソ),それに約1割の先住民と1割以下の白人といった独特な人種構成をもつ。その起源は1521年のスペイン人によるアステカ王国の征服にさかのぼる。スペインの征服者エルナン・コルテス自身,先住民の女性マリンチェとの間に子を残しているので,彼はその意味でも混血の国メキシコの祖といえよう。…

※「アステカ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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