現メキシコ市の位置にあったアステカ王国の首都。1345年ごろ建設されたといわれ、テスココ湖上の島の上に位置していた。初めアステカ人の二つの集団が、島の北と南に町をつくり、それぞれテノチュ(首長)をいただいていたが、15世紀末に、南のテノチティトランが、北のトラテロルコのトラトアニ(古代メキシコ語で王の意)を廃して行政官を送り、事実上北の地区を併合した。15世紀初めからのアステカの勢力拡大に伴って、町の規模は大きくなっていったが、最終的には、12ないし15平方キロメートルの地域に、15万ないし20万の人口が密集して住む大都会になった。町全体は、トラテロルコを含めて五つの地区に分けられ、さらにそれが80のトラシラカリとよばれる小区域に細分されていた。それぞれのトラシラカリには小さな行政、祭祀(さいし)センターが設けられて、道路は碁盤の目状につくられ、それと並行して運河が通っていた。居住者はすべて非農耕民で、食糧は本土から舟で補給され、飲料水は西の対岸にあるチャプルテペックから水道で引かれていた。町の中央部には一辺500メートル四方の大神域があり、アステカの主神ウィツィロポチトリや、軍神テスカトリポカ、水神トラロックはじめ多くの神々に捧(ささ)げられた神殿、球戯場などが建っていた。神域の外部には、アステカの王たちの宮殿が建っていた。
テノチティトランは、1521年にこれを占領したスペイン人の手で徹底的に破壊されたため、主要な建造物はすべて姿を消した。1936年にマヌエル・ガミオが大神殿の基底部を一部発掘したが、1978年2月になって、その付近で道路工事が行われた際、月の女神コヨルシャウキを彫刻した直径3.26メートルの石板が発見された。それを契機に大神殿の基礎を全面的に発掘することが大統領の指示により決定されて、メキシコの考古学者のグループが調査を行った。
[増田義郎]
『コルテス『報告書簡』(『大航海時代叢書 第Ⅱ期 第12巻』所収・1980・岩波書店)』▽『ベルナール・ディーアス著、小林一宏訳『メキシコ征服記』(『大航海時代叢書 エクストラシリーズ 第3~5巻』所収・1986・岩波書店)』
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メキシコ盆地の湖上の島にあったアステカ(メシカ)人の首都。面積13.5km2,最盛時(16世紀初め)の人口は20万と推定される。四つの居住地区に囲まれた中央部には,一辺500mの神域があり,大神殿や王宮などが集中していた。スペイン人との攻防戦で徹底的に破壊されたが,1978年地下工事中に月神コヨルシャウキの大石彫が発見され,これを契機に中心部の組織的発掘が行われた。
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…テノチティトランと呼ばれた現在のメキシコ市の中心部に都を置き,14世紀からスペイン人によって征服された1521年まで栄えた文化。アステカAztecaとは彼らの伝説上の起源の地,〈アストランAztlan〉の人を意味する。…
…4月,サン・フアン・デ・ウルアに達し,アステカ王国の情報を得て,ベラクルス市を建設後,国王カルロス1世にアステカ征服の許可を求める書翰を送る。8月,内陸へ進軍し,途中アステカ族と対峙するトラスカラ族を味方とし,チョルラでの激戦ののち,11月アステカ王国の首都テノチティトラン(現,メキシコ市)に入り,モクテスマ2世を幽閉。翌年4月,ベラスケスが派遣した追討軍を迎え討つためベラクルスに向かい,6月,追討軍を打破して味方とし,首都へ帰還するが,首都ではインディオの武装蜂起が起こっていた。…
…スペイン人がアステカの王もしくは皇帝と考えた職は,もともと旧大陸の専制君主にあたるようなものではなく,一種の議会の手で選挙された最高の軍司令官であった。こんにちのメキシコ市にあったアステカの首都テノチティトランは,四つの地区に区画され,そのおのおのはまた,カルプリcalpulliという集団の占める小地区に分かれる。各カルプリはそれぞれ独自の職業に従事し,各自の神と神殿と土地と,そしてある程度の自治的な制度とをもつ。…
…標高2237m。アステカ帝国のころには広い湖面をもち,その西部にアステカの首都テノチティトランがあったが,メキシコ市の建設後,市内が冠水する危険があったので,17世紀より排水工事が行われ,1900年には排水路とテキスアク・トンネルが完成し,湖は縮小した。現在では,大部分が塩分の多い砂漠地であるが,雨季の終りには湖は拡大する。…
…この伝説はメキシコの国旗の図柄に象徴的に描かれている。アステカ族は周辺部族を征服し,371の従属都市から貢納を集める大帝国に発展し,14世紀半ばにテスココ湖上に浮かぶ島に壮大な都市テノチティトランTenochititlánを建設した。湖には数本の堤道が築かれて島と湖岸とを結び,中央広場には神権政治の舞台である大ピラミッドがそびえ,人口は約20万~30万を数えたといわれる。…
※「テノチティトラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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