アンドレアガシ(英語表記)Andre Agassi

現代外国人名録2016 「アンドレアガシ」の解説

アンドレ アガシ
Andre Agassi

職業・肩書
元テニス選手 アトランタ五輪テニス男子シングルス金メダリスト

国籍
米国

生年月日
1970年4月29日

出生地
ネバダ州ラスベガス

経歴
父はアルメニア人。ニック・ボロテリーに師事し、1986年プロ入り。’87年ブラジル・イタパリカの南米オープンで初優勝。同年の世界ランキングは25位だったが、’88年前半で3勝を挙げ、デビスカップの米国代表となる。また全仏オープン、全米オープンでもベスト4入り。’89年全米オープンベスト4。’90年ATP世界ランキング2位。’92年全英オープン(ウィンブルドン)を初制覇。’94年の全米オープンはノーシードで初優勝。’95年全豪オープンに初出場で初優勝。’96年アトランタ五輪で金メダルを獲得。以後、しばらく低迷していたが、’98年2月シベース・オープンで1年7ケ月ぶりにツアー優勝。’99年6月全仏オープンで初優勝、男子史上5人目となるグランドスラム(4大大会全制覇)を達成、また芝、ハードクレーの3つの異なるコートをすべて征服した史上初の選手となる。同年9月全米オープンで優勝。同年11月パリ・オープンで優勝し、初の年間世界ランキング1位となる。2000年、2001年、2003年全豪オープン優勝。2005年20年連続出場となった全米オープンで準優勝。2006年9月全米オープンを最後に引退した。プロ21年間で通算1144試合出場、870勝274敗、ツアー60勝、4大大会8度優勝、通算224勝(53敗)で、ジミー・コナーズ(米国)に次いで歴代2位。切れ味鋭いストロークを武器クレーコートを最も得意とし、若い頃は奇抜な風貌ウエアで“テニス界の革命児”と呼ばれた。2011年国際テニス殿堂入り。1997年4月女優のブルック・シールズと結婚するが、’99年4月離婚。2001年10月元プロテニス選手シュテフィ・グラフと結婚。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「アンドレアガシ」の解説

アンドレ アガシ
Andre Agassi
テニス

テニス選手
生年月日:1970年4月29日
国籍:米国
出生地:ネバダ州ラスベガス
経歴:父はアルメニア人。ニック・ボロテリーに師事し、1986年プロ入り。’87年ブラジル・イタパリカの南米オープンで初優勝。同年の世界ランキングは25位だったが、’88年前半で3勝を挙げ、デビス杯の米国代表となる。また全仏オープン、全米オープンでもベスト4入り。’89年全米オープンベスト4。’90年ATP世界ランキング2位。’92年全英オープン(ウィンブルドン)を初制覇。’94年の全米オープンはノーシードで初優勝。’95年全豪オープンに初出場で初優勝。’96年アトランタ五輪で金メダルを獲得。以後、しばらく低迷していたが、’98年2月シベース・オープンで1年7ケ月ぶりにツアー優勝。’99年6月全仏オープンで初優勝、男子史上5人目となるグランドスラム(4大大会全制覇)を達成、また芝、ハード、クレーの3つの異なるコートをすべて征服した史上初の選手となる。同年9月全米オープンで優勝。同年11月パリ・オープンで優勝し、初の年間世界ランキング1位となる。2000年、2001年、2003年全豪オープン優勝。2005年20年連続出場となった全米オープンで準優勝。2006年9月全米オープンを最後に引退した。プロ21年間で通算1144試合出場、870勝274敗、ツアー60勝、4大大会8回優勝、通算224勝(53敗)で、ジミー・コナーズ(米国)に次いで歴代2位。切れ味鋭いストロークを武器にクレーコートを最も得意とし、若い頃は奇抜な風貌とウエアで“テニス界の革命児”と呼ばれた。2011年国際テニス殿堂入り。1997年4月女優のブルック・シールズと結婚するが、’99年4月離婚。2001年10月元プロテニス選手シュテフィ・グラフと結婚。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「アンドレアガシ」の解説

アンドレ アガシ

生年月日:1970年4月29日
アメリカのテニス選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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