デビスカップ(読み)でびすかっぷ(英語表記)Davis Cup match

デジタル大辞泉 「デビスカップ」の意味・読み・例文・類語

デビス‐カップ(Davis Cup)

テニスの世界選手権大会(デビスカップマッチ)の優勝国に贈られる純銀製の優勝杯。1899年米国のD=F=デービス寄贈。デ杯。
デビスカップマッチ」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「デビスカップ」の意味・読み・例文・類語

デビス‐カップ

  1. ( [英語] Davis Cup ) デビスカップ‐マッチの優勝国に贈られる賞杯。純銀製。一八九九年アメリカの富豪D=F=デービスの寄贈によるもの。デ杯。また、この賞杯獲得をめざす「デビスカップマッチ」の略。〔アルス新語辞典(1930)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「デビスカップ」の意味・わかりやすい解説

デビスカップ
でびすかっぷ
Davis Cup match

内部の直径45センチメートル、高さ30センチメートルほどの純銀製のカップを争う男子テニス国・地域別対抗戦。1900年ハーバード大学の学生デビスDwight Davisらの提案を受けたアメリカテニス協会が、米英対抗戦として始めたのが起こりで、その際にデビスらが寄贈したカップが「デビスカップ」である。優勝チームにはレプリカが贈られる。この最初の試合は現在と同じく4シングルス、1ダブルスの対抗チームマッチで、1900年8月8日から3日間、ボストン郊外のロングウッドテニスクラブで行われ、3対0でアメリカが勝った。1904年、ベルギーオーストリア、フランスが加わり、続いてその翌年にはオーストラリアニュージーランドの混成チームによるオーストラレーシアが参加、13年国際テニス連盟が結成されるに至って、正式に国際テニス選手権と命名され、連盟自体の主催となった。その後参加国の増加に伴い、1923年にアメリカ・ヨーロッパゾーンができ、55年にはイースタンゾーンが設定された。さらにヨーロッパはA・B二つのゾーンに分割された。

 この競技は当初、各ゾーンの優勝国がインターゾーン決勝を争い、その優勝国が前年度のカップ保持国に挑戦するチャレンジ・ラウンド制をとっていたが、1972年からは、カップ保持国も自己の属するゾーンから出場することになった。さらに1981年に方式が大幅に変わり、上位16か国によるワールドグループ・トーナメントで優勝を争うことになり、各ゾーンは次年度のための予選トーナメントになった。なお、デビスカップはアマチュアリズムを堅持していたが、テニス界の趨勢(すうせい)に順応し、1971年に至りオープン化に踏み切り、ふたたび世界のトッププレーヤーが参加できるようになり、81年からは賞金もつくことになった。1989年には、第5セットを除くすべてのセットにタイブレークが採用された。1997年には各ゾーン(地域)にグループⅡが設けられ、デビスカップに将来出場したいと考えていた国々に門戸が開かれた。

 過去の優勝回数は、アメリカが最も多く31回、ついでオーストラリア27回、イギリス9回、フランス9回、スウェーデン7回、ドイツ2回、南アフリカイタリアチェコスロバキアスペイン、ロシア各1回となっている(2002年現在)。

 日本のデビスカップへの初参加は1921年(大正10)で、熊谷一弥(くまがいいちや)、清水善造、柏尾誠一郎の3選手を派遣し、インド、オーストラリアを破り、デビスカップ保持国のアメリカへの挑戦権を得た。結果は0対5で敗れはしたが、日本のテニスが世界から注目されることになった。しかし以後これに匹敵する好成績はいまだあげるに至っていない。ワールドグループ制になってから、1981年、85年の二度、ワールドグループに出場している。

[三町正治・清水伸一]

その後の動き

2008年現在、過去の優勝回数は、アメリカ32回、オーストラリア28回、イギリス、フランス9回、スウェーデン7回、ドイツ(西ドイツ時代を含む)3回、スペイン、ロシア2回、南アフリカ、イタリア、チェコスロバキア、クロアチア1回となっている。

[編集部]

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改訂新版 世界大百科事典 「デビスカップ」の意味・わかりやすい解説

デビス・カップ
Davis cup

国際テニス連盟(ITF)の主催する男子国別トーナメントの優勝国に贈られる銀製のトロフィー。1900年,アメリカのハーバード大学生D.F.デービスの発案で,国際親善を深めるのを目的にテニスの英米対抗試合が行われ,その勝者のためにボストンの富豪デービス家が寄贈したもの。試合は01年に中断したが,02年から復活。07年以降ヨーロッパを中心に,しだいにカップ争奪戦に加わる国が多くなり,正式名称〈国際ローンテニス選手権〉,通称〈デ杯戦〉として世界的スポーツ行事に成長した。日本は21年に初参加。71年を最後にデ杯戦の大きな特徴だったチャレンジ・ラウンド制(その年の優勝国が前年のカップ保持国に挑戦)が廃止され,73年にはプロ選手の参加を認めた。81年には大きな変革があり,上位16ヵ国がカップを争うスーパー・トーナメント,それ以外の国による予選ゾーン・トーナメントの1・2部制が採用された。また同年からは日本企業を初代スポンサーとし,全参加国に賞金が配分されている。試合は3日間,4シングルス,1ダブルスの5ポイント制。
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知恵蔵mini 「デビスカップ」の解説

デビスカップ

国際テニス連盟(ITF)が主催する男子テニスの国別対抗戦。日本では「デ杯」とも略される。1900年、米国の学生テニス選手ドワイト・デビスらの提案により、米英対抗戦として開始された。04年に国際競技会となり、46年より現名称で毎年開催されている。出場国はレベルによってグループ分けされ、世界上位16カ国による「ワールドグループ」は、1年をかけて4回戦のトーナメント方式でカップを争う。下位の国々はアジア・オセアニア、ヨーロッパ・アフリカ、南北アメリカの三つの「ゾーングループ」に分かれて戦い、勝ち上がった8カ国は、ワールドグループの1回戦敗退8カ国と翌年のワールドグループ出場権をかけたプレーオフを行う。ワールドグループ、ゾーングループいずれも出場選手は各国4人まで。試合は対戦国のどちらかの国で行われるホーム・アンド・アウェイ方式で、一つの回戦ごとに金・土・日曜日の週末を使って計5試合が行われ、先に3勝した国の勝利となる。2014年までの最多優勝国は米国で、日本の最高成績は初出場となった1921年の準優勝。日本は現行のワールドグループ制が開始された81年以降、2014年までに4回ワールドグループに進出しており、15年のワールドグループ残留が決定している。

(2015-2-26)

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百科事典マイペディア 「デビスカップ」の意味・わかりやすい解説

デビス・カップ

1900年に米国のテニス選手D.F.デービスが,米英間のテニス試合のために寄贈した純銀製の優勝杯。この杯を争う国単位の男子国際テニス試合がデビス・カップ戦で,正式には国際ローンテニス選手権,通称デ杯戦。1971年まではヨーロッパゾーンA,B,アメリカゾーン,東洋ゾーンの各勝者が勝抜き戦を行い,最終勝者が前年のデ杯保持者と対戦した。1981年からは上位16ヵ国がカップを争うスーパー・トーナメント,その他の国による予選ゾーン・トーナメント(4ヵ国が上部へ昇格)方式に変更。試合はシングルス4試合,ダブルス1試合の計5試合を行い,3勝したほうを勝ちとする。女子選手のための同様の国別対抗戦にフェド・カップFed Cup(旧称フェデレーション・カップ)がある。
→関連項目伊達公子ティルデンテニス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デビスカップ」の意味・わかりやすい解説

デビスカップ
Davis Cup

テニスの男子国別・地域別対抗戦。 1900年にアメリカ合衆国のテニス選手ドワイト・F.デービスが,アメリカとイギリス両国間の国際テニス試合開催にあたり,純銀製のカップを寄贈したことに始まる。両国の試合は 1883年頃から行なわれていたが,このカップの寄贈によってデビスカップ争奪試合が始まった。第1回大会はボストン郊外のロングウッドで行なわれ,デービス自身も出場してアメリカが優勝した。 1904年にはベルギーとフランスも参加。国際ローンテニス連盟 (国際テニス連盟 ) が結成されると,連盟主催の大会となり,参加国を増やしていった。 1981年大会形式が改められ,上位 16ヵ国で構成されるワールドグループと,その他の国々からなる地域ゾーンとに分かれ,毎年入れ替え戦が行なわれることになった。参加国からは4人まで出場でき,ワールドグループあるいは各地域ゾーン内のトーナメントで対戦する国と3日間かけてシングルス4試合,ダブルス1試合を行ない,先に3試合を制した国・地域が勝利する。

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知恵蔵 「デビスカップ」の解説

デビスカップ

男子の国別対抗戦。1900年、ハーバード大学の学生だったドワイト・デービスがトロフィーを寄贈し、ボストンのロッグウッド・クラブで英米対抗戦として始まった。第1次世界大戦までにベルギー、フランスなど6カ国が加わって国際対抗戦に発展。現在は国際テニス連盟(ITF)が主催しワールドグループ16カ国による4回戦のトーナメント方式で覇を競う。1回戦の敗者8カ国が、下部ゾーンの勝者との入れ替え戦へ。世界を3ゾーンに分けそれぞれ4グループを結成して予選を展開している。いずれも対戦カードごとの交互開催が原則で、シングルス2試合―ダブルス1試合―シングルス2試合の日程で行われ先に3勝した国の勝ち。これまで米国が最多の通算優勝31回、次いで豪州の28回。2005年はクロアチアが初優勝を飾った。05年の参加は134カ国。日本はアジアオセアニア・ゾーンI。監督は竹内映二。07年はアメリカが12年ぶり31回目の優勝を飾った。07年の参加は131カ国。

(武田薫 スポーツライター / 2008年)

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