イェスゲイ(読み)イェスゲイ(その他表記)Yesügei

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イェスゲイ」の意味・わかりやすい解説

イェスゲイ(也速該)
イェスゲイ
Yesügei

モンゴルチンギス・ハンの父。オルフヌート氏族のホエルンをめとってテムジン (チンギス) ,ジョチ・ハサル,ハチウン,テムゲ・オッチギンの4子,また別にスジギルからベルグテイを生んだ。ケレイトワン・ハン (王罕)を助けてそのアンダ (按荅)となった。モンゴル部族の指導者の一人で,仇敵タタール部族との戦争に勝利を収めた。チンギスの生れたとき,ちょうどイェスゲイがタタールの首領のテムジンという者を捕虜にして連れ帰ったので,チンギスをテムジンと名づけたという。チンギスの幼少のおりに死んだといわれる。

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関連語 アンダ

世界大百科事典(旧版)内のイェスゲイの言及

【チンギス・ハーン】より

…1162年説,1154年説,1155年説などである。父イエスゲイYesügeiは,金朝の支援を受けてモンゴル部の弱体化を図るタタール部との戦闘に活躍し,第3代部族長クトトラの没後には次の部族長の有力候補者になっていた。その父がテムジンの少年時代にタタール部の者に毒殺されると,配下のタイチウト氏は他の諸氏族を率いて離反し,テムジンの殺害を企てた。…

※「イェスゲイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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