インド・パキスタン分離独立(その他表記)Partition

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

インド・パキスタン分離独立(インド・パキスタンぶんりどくりつ)
Partition

植民地インドの独立は,インドとパキスタンの2国に分離する形で実現されたので,こう呼ばれることがある。分離を主に要求したのは少数派ムスリムを支持基盤とするムスリム連盟だが,インド民族全体の代表であると主張しながら,ムスリムの主張を尊重することを怠ったインド国民会議派にも分離独立の責任がある。連盟二民族論を掲げ,パキスタン決議を採択したのは1940年である。しかしこのときは,パキスタン構想はまだ漠然としたもので,政治交渉を有利にするためのカードにすぎないと受けとめられていた。46年3~6月,独立交渉をするためにイギリスの内閣使節団が訪印したときも,会議派と連盟が妥協する余地はあると考えられていた。しかしこの交渉が決裂し,同年8月,カルカッタで大宗派暴動が起こると,状況は一変した。暴動が全国に波及するなかで,47年6月,マウントバッテン総督は,ベンガルパンジャーブをそれぞれ東西に分割し,インドとパキスタンに振り分ける分離独立案を発表した。会議派と連盟はこれを受諾し,47年8月,インドとパキスタンが独立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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