ウスルシャナ(その他表記)Usrushana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウスルシャナ」の意味・わかりやすい解説

ウスルシャナ
Usrushana

旧ソ連の文献では Ustrushana。中国文献では率都沙那,蘇対沙那,蘇都識匿 (以上『新唐書』) ,そつ堵利瑟那 (『大唐西域記』) 。アラビア語文献では Usrushanaと記される。中央アジアの中世初期の一公国。現在のタジキスタン北西部一帯を占め,5~9世紀には独立の所領であった。7世紀末よりしばしばアラブの侵入を受け,822年領主のカウスがイスラム教徒となった。その子ハイダルはカリフ国家の高官となったが,841年独立の陰謀ありとして処刑された。 893年サーマン朝の領内に入った。ウスルシャナの首都ブンジカトは,現在のタジキスタン,ホジェント州ウラチュベ郡シャフリスタン村に遺跡として残っている。旧ソ連タジク共和国科学アカデミー所属の考古学者 N.ネグマトフを長とする調査団が,1955年以降シャフリスタン遺跡の発掘にあたり,特にそのうちのカラ・イ・カフカハIおよび II号遺丘を発掘した。I号は面積 5ha,延長約 1kmの城壁に囲まれていた。これはウスルシャナ王の宮殿址で,多くの木彫壁画で飾られ,壁画には2人の子供がおおかみの乳を吸っている光景も含まれていた。これはローマ建国神話形象化した光景に酷似している。ネグマトフは,宮殿は 893年サーマン朝によって滅ぼされたと考えている。火災によって炭化した木彫断片が発見されたが,イランの古代神話をモチーフにしたものも少くない。

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