ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウリヤンハダイ」の意味・わかりやすい解説
ウリヤンハダイ(兀良合台)
ウリヤンハダイ
Uriyangkhadai
[没]1272
モンゴルの武将。ウリヤンハン氏族のスブタイ (速不台)の子。モンケ (蒙哥)の即位前からの家臣。バトゥ (抜都)の西征に従軍し,モンケの即位後は 1252年の皇弟フビライ・ハンの雲南遠征軍の総司令官となり,55年までに大理国の5城,8府,4郡および烏蛮,白蛮などの 37部を平定し,57年臨 洮のフビライの本営に報告に帰った。同年ベトナムに侵入,58年宋軍と戦った。同年モンケの命令で,背後から宋領を横断して鄂州でモンゴル軍と合流しようとして雲南を出発し,貴州,象州,静江府,辰州,沅州,潭州などで宋軍を撃破しつつ敵中を突破。 59年フビライと鄂州城下の滸黄洲で合流し,60年上都にいたった。
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