島根県の東部南寄りにある市。2004年(平成16)大原(おおはら)郡の大東町(だいとうちょう)、加茂町(かもちょう)、木次町(きすきちょう)、飯石(いいし)郡の三刀屋町(みとやちょう)、掛合町(かけやまち)、吉田村(よしだむら)が合併して成立。新市名は大原、飯石、仁多(にた)の3郡を「雲南三郡」とよぶなど、近代以降に旧出雲国の南部をさす呼称として流布した「雲南」を採用。市域は斐伊(ひい)川水系の中・上流域に展開、市域北半の中央部を北東に流れる本流に深野(ふかの)川、久野(くの)川、三刀屋川、赤川などの支流が注ぎ、さらに三刀屋川には吉田川、飯石川、赤川には阿用(あよう)川などが流れ込む。北部は斐伊川と三刀屋川、赤川の合流点付近に平野が開けるなど、比較的標高の低い丘陵地。南部に向かうほど高度は増し、南端部、毛無山(1062メートル)などが連なる中国山地の分水界で広島県と接する。市域の斐伊川本流沿いや西部の三刀屋川沿いは、古くから出雲地方と備後地方を結ぶ陰陽往来の重要な道筋で、現在、国道54号がおおむね三刀屋川沿いに縦断し、これから分岐する314号が斐伊川本流沿いを通って奥出雲町・広島県へ向かう。松江自動車道の三刀屋木次、吉田掛合、雲南吉田の三つのインターチェンジがある。JR木次線が蛇行しながら市域北半を走り抜ける。
北部の加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)(国指定史跡)から一括出土した39個の銅鐸は国宝に指定。赤川南岸の神原神社古墳(かんばらじんじゃこふん)からは、景初3年(239)銘の鏡が出土し(出土品は一括して国指定重要文化財)、卑弥呼の鏡として注目をあびた。中世、三刀屋城に拠った三刀屋氏(諏訪部氏)が一帯に勢力を振るった。雲南地方は古くから優秀な山砂鉄の産地で、これを原料とする鑪(たたら)製鉄も早くから行われていた。江戸時代中期以降、山砂鉄採取のため鉄穴流し(かんなながし)が盛行。鉄穴流しは大量の土砂を流出させるため、斐伊川の下流部では川床が高くなる弊害があり、市域平野部でもたびたび洪水に見舞われている。江戸時代、北部の低丘陵地では茶・木綿・薬用人参、南部の山間部では薪炭、和紙、鉄などが特産品で、これらを扱う木綿市(加茂、三刀屋、大東)、紙市(大東、木次)などが開かれた。鉄の運搬には斐伊川の舟運が活用されたが、牛馬の需要も多く、加茂や三刀屋の牛馬市も盛況であった。鉄は木次市場の主要商品で、江戸時代末期から明治期にかけて木次千歯(千歯扱(せんばこき))は全国に知られた。大東地区では第二次世界大戦前から特殊鋼の原材料となるモリブデン鉱山が稼働し、一時期、日本一の産出量を誇った(1973年閉山)。近年は稲作のほか、茶、果樹、野菜、花卉の栽培、養鶏・畜産業が盛んだが、林業は低迷している。木次地区や加茂地区では工業団地が整備され、製造品出荷額等は県内有数。南部の山間部では過疎化が顕著となる一方で、北部では松江市、出雲市のベッドタウン化もみられる。斐伊川流域は記紀神話におけるスサノオノミコトによるヤマタノオロチ退治の舞台となった。市域にもこの神話に関連する伝承地が数多くあり、観光資源となっている。赤川沿いの海潮(うしお)温泉、斐伊川沿いの湯村(ゆむら)温泉(出雲湯村温泉)はともに『出雲国風土記』にも記された古い温泉。松江藩鉄師筆頭の田部家が経営していた数多い「たたら」(砂鉄精錬場の総称)の中心であった「菅谷たたら山内」(山内はたたたら製鉄を営む場所の総称)は国指定重要有形民俗文化財。飯石川には雲見滝(くもみのたき)が掛かり、三刀屋川の支流に掛かる八重滝と竜頭(りゅうずが)滝は竜頭八重滝県立自然公園の一部。面積553.18平方キロメートル、人口3万6007(2020)。
[編集部]
中国西南部の省。略称は滇または雲。4地区、8自治州、15市(省直轄市4、県級市11)に分かれ、80県、29自治県が含まれる。省政府の所在地は昆明(こんめい/クンミン)市。面積39.4万平方キロメートル、人口4076万6183(2000)、うち3分の1はイ族、ペー族、タイ族など22の少数民族である。中国における古人類の居住地の一つであり、元謀(げんぼう)原人や古猿の化石ならびに新石器時代の遺跡や遺物が発見されている。歴史時代に入ってからは多くの民族の小国が分立し、なかでは秦(しん)・漢代の滇国、唐・宋(そう)代の南詔(なんしょう)国、大理国が知られる。これらの時代には部分的には中央政府に属する州、郡が置かれたが、元代に雲南行中書省となり、全域にわたって中央政府の支配下に入った。さらに明(みん)代に雲南布政使司が置かれ、清(しん)代に雲南省と改められた。
地勢は北高南低であり、北西部はチベット高原に続く横断(おうだん/ホントワ)山脈、東部は標高2000メートル前後の雲貴(うんき/ユンコイ)高原、南部は元江、瀾滄江(らんそうこう/ランツァンチヤン)などの河谷平原で、平均標高は500メートル前後である。南部の河谷平原と雲貴高原上の壩子(はし/パーツ)とよばれる盆地が農業地帯である。また高原上は石灰岩地帯であるためカルスト地形が発達し、路南(ろなん)石林がその代表である。この地形を流れる河川のなかには、地下を流れる部分も多く、地下水力発電所も建設されている。一般的に低緯度にあるため気温の年較差が少ないが、内陸部のため日較差は大きい。昆明は春城(常春の都市)とよばれるほど気候の穏やかな土地である。しかし、北西部は高山であるために気温の垂直変化が著しく、また南部は亜熱帯気候である。年降水量は平均1000ミリメートルを超えるが、5~10月の雨期に集中する。
農作物は米、トウモロコシを主とし、ほかに小麦、ソバ、ジャガイモがある。かつては陸稲の栽培面積が多かったが、現在では水稲が増加している。工芸作物ではアブラナが多く、特産物としては普洱(ふじ)茶(プーアル茶)、雲南大葉(マルバタバコ)として知られる雲煙、林産物の思茅木耳(しぼうきくらげ)、クルミがある。南部ではコーヒー、コショウ、ゴム、バナナ、サトウキビなどの熱帯作物も栽培されている。北西部と南西部は森林が多く残されており、寒帯から熱帯に至る各種の樹木がある。雲南マツ、アブラギリ、チーク、シタンなどが代表的なものである。また茯苓(ぶくりょう)、三七(サンシチニンジン)などの漢方薬材も豊富である。地下資源は非鉄金属が多く、箇旧(かきゅう/コーチウ)の錫(すず)、東川(とうせん/トンチョワン)の銅、会沢(かいたく)の鉛と亜鉛、晋寧(しんねい)と澄江の燐(りん)鉱石、一平浪の石炭などがある。また岩塩の分布が多く、塩豊、塩興、広通などで採掘される。特産物として大理の大理石がある。工業は昆明を中心に鉱業地域では製鉄をはじめ各種の冶金(やきん)と機械工業、化学工業がおこっている。また製茶、たばこ、製塩、食品加工などの工業が盛んで、宣威(せんい)のハムは、たばこ、茶、漢方薬材とともに輸出品となっている。
国内各地方を結ぶ成昆、貴昆、南昆の主要幹線鉄道のほか、省内を結ぶ蒙宝、盤西、東川などの支線が走り、また昆河線は狭軌だがベトナムと結ぶ国際線である。航空路は北京(ペキン)、広州(こうしゅう/コワンチョウ)などの国内都市、ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン(ラングーン)と結ぶ航路が昆明に通じ、省内では保山(ほざん/パオシャン)、思茅(しぼう/スーマオ)、昭通(しょうつう/チャオトン)に通じている。道路交通は昆明を中心に省内各地に延びており、なかでもミャンマー国境の畹町(えんてい)市へ通じる道路は中日戦争当時「ビルマ公路」として有名であった。また本省西北隅からチベットに通じる滇蔵公路も完成している。
[青木千枝子・河野通博]
島根県東部の市。2004年11月掛合(かけや),加茂(かも),木次(きすき),大東(だいとう),三刀屋(みとや)の5町と吉田(よしだ)村が合体して成立した。人口4万1917(2010)。
雲南市南西部の旧町。旧飯石(いいし)郡所属。人口3905(2000)。東部を斐伊(ひい)川支流の三刀屋川,西部を神戸川支流の波多川が北流する南北に長い山村。三刀屋川沿いにある中心地の掛合は,古代には飯石郡の郡家が置かれた地であり,近世は松江藩領で,辺境守備の番所が置かれた。明治に入って郡役所が設置され,この地方の政治の中心地となった。名馬の産地で近世には掛合,波多に牛馬市が開かれていた。山地が多く,林業を中心に栗,シイタケの栽培が行われている。県立自然公園に含まれる竜頭ヶ滝,八重滝があり,町の南部にはふれあいの里奥出雲公園がある。町の中央部を南北に国道54号線が通じる。
雲南市北西端の旧町。旧大原郡所属。人口6737(2000)。南西は出雲市に接し,中央を斐伊川の支流赤川が西流して出雲市との境界付近で本川に合流する。赤川流域には多くの弥生遺跡や古墳があり,神原神社古墳からは景初3年(239)銘の三角縁神獣鏡が発見され,加茂岩倉遺跡からは多量の銅鐸が発見された。近世には木綿市,牛馬市が立ち,松江藩の奨励の下でニンジン栽培が盛んであった。赤川沿いはしばしば洪水の被害を受けていたが,1937年の改修により優良米の産地になった。酪農が行われ,近年はブドウ栽培が盛んで,北九州へ出荷されている。JR木次線,国道54号線が通じ,出雲市,松江市の住宅地となっている。
雲南市中部の旧町。旧大原郡所属。人口1万0079(2000)。斐伊川の中流域にあり,町域の大部分は斐伊川の東岸に位置する。雲南地方の中心地で,斐伊川と久野川の合流点にある中心地の木次は,斐伊川舟運の中継地として発展し,三日市や八日市の地名が残るように市場町として栄えた。江戸初期には紙市が立ち,雲南3郡で生産された紙を集散した。また天保年間(1830-44)に始まった木次千歯(せんば)の製造は明治の中ごろには最盛期を迎え,これら農具の行商が盛んに行われた。現在は米作,養鶏,肉用牛の飼育が行われ,ブドウなどの果樹栽培に力を入れている。北部の丘陵地に木次工業団地が造成され,音響機器,金属などの工場が進出している。出雲湯村温泉がある。JR木次線,国道314号線が通じる。
雲南市北東部の旧町。旧大原郡所属。人口1万4607(2000)。松江市の南に接し,斐伊川の支流赤川の上流域を占める。中心集落はJR木次線の通る大東で,中世は大東荘に属し,近世は3・6の六斎市が開かれる市場町として栄えた。4月と8月には牛馬市が開かれ,木綿市も立った。また松江藩の事業としてヤクヨウニンジンの栽培が盛んで,藩の人参方役所出張所が置かれた。現在は養鶏,酪農,茶の栽培などが盛んである。阿用,川井は国内有数のモリブデンの埋蔵地で,大東,東山などの鉱山があったが,資源の枯渇と貿易自由化に伴い閉山した。赤川沿いに海潮(うしお)温泉がある。
雲南市西部の旧町。旧飯石郡所属。人口8561(2000)。斐伊川中流部の西岸に位置し,中央部を斐伊川の支流三刀屋川が北東へ流れ,町境で斐伊川に合流する。中心地の三刀屋は谷口集落で,鎌倉初期から16世紀後半まで三刀屋氏が城を構えた。また斐伊川舟運の終点でもあり,東岸の木次と並んで出雲地方南部の物資を集散した。1916年開通の簸上(ひかみ)鉄道(現,JR木次線)が木次を通ったため商業は衰退した。主産業である農業では肉牛の飼育,タバコやシイタケの栽培が盛んで,近年は水田でアムスメロンが栽培されている。1972年仁多,飯石,大原3郡の家畜市場を統合した雲南家畜市場が町内に設けられた。特産に斐伊川和紙がある。国道54号線が通る。
雲南市南部の旧村。旧飯石郡所属。人口2434(2000)。中国山地にある山村で,斐伊川の支流深野川,三刀屋川の支流吉田川が北流する。南は広島県に接し,県境に大万木(おおよろぎ)山(1218m)がある。吉田川中流にある中心集落の吉田は,中世以降たたら製鉄を経営した田部(たなべ)家とともに発展し,田部家は近世には松江藩の保護を受けて諸特権を付与されていた。洋鉄に押されて1923年に廃業したが,たたら炉を内部にもつ高殿(国の重要有形民俗資料)を中心に元小屋,米倉,炭小屋,長屋などの施設が保存されている。現在は畜産,養蚕,タバコやメロンの栽培が盛んで,隣の旧木次町にある湯村温泉の湯を利用してティラピアの養殖も行われている。
執筆者:清水 康厚
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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