出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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バトゥ(抜都)
バトゥ
Batu
[生]1207
[没]1255
キプチャク・ハン国の初代ハン (在位 1227~55) 。チンギス・ハンの長子ジョチ (朮赤)の第2子。 1236~42年のヨーロッパ遠征の総司令官としてロシアを経てポーランド,ドイツに侵入。ワールシュタットにヨーロッパ連合軍を撃破したのちハンガリーを攻略中に,オゴデイの死を聞いて撤退。ボルガ川河口サライに駐して,新たに獲得した領土を加えてキプチャク・ハンと称し,キプチャク・ハン国の基礎を築いた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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普及版 字通
「バトゥ」の読み・字形・画数・意味
【
纛】ばとう
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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バトゥ
Batu
1207〜55
キプチャク−ハン国の祖(在位1243〜55)
チンギス=ハンの孫で,ジュチの子。オゴタイ=ハン(太宗)の命により西方へ遠征し,ロシアに侵入してモスクワ・キエフを攻略した。さらにワールシュタットの戦いで勝利してポーランド・シュレジエン・ハンガリーに侵入したが,この攻略中,オゴタイ=ハンが死んだために帰還し,ヴォルガ川下流のサライに都し,キプチャク−ハン国を開いた。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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ばとう
栃木県那須郡那珂川町にある道の駅。国道293号に沿う。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のバトゥの言及
【キプチャク・ハーン国】より
…ロシア史ではこれを〈[タタールのくびき]〉と呼ぶ。国家の創設者バトゥ(在位1227‐55)はジュチの第2子で,1236‐41年に,キプチャク草原,ロシア,東欧を席巻し,ボルガ下流のサライを中心として国家の基礎を築いた。その際,長兄オルダOrdaらがジュチの本領(イルティシュ流域)を継いで国家の左翼となり,ハーン位を継承したバトゥは,弟のベルケBerkeやシバンShibanらとともに,右翼に所領を占めた。…
【タタールのくびき】より
…ロシア語のイーゴ(〈軛(くびき)〉の意)は,ラテン語のjugumに由来する。 モンゴル将軍バトゥは,征服したキプチャク・ハーンの国土と人民をしたがえ,ボルガ河口にサライの都をつくって新たにキプチャク・ハーン国を建設した。ロシアの支配にあたっては,ロシア諸公にサライ伺候を義務づけながら,各地に派したモンゴル人司政官(バスカク)に行政,徴税,軍事の権限を与えたが,ロシア人の抵抗が強く,13世紀末に司政官制度が廃されていく。…
※「バトゥ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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