改訂新版 世界大百科事典 「エリザベータペトロブナ」の意味・わかりやすい解説
エリザベータ・ペトロブナ
Elizaveta Petrovna
生没年:1709-62
ロシアの女帝。在位1741-62年。ピョートル1世の娘。宮廷革命で1741年即位。善良な人柄で人々に好かれた。ダンスと観劇にふけり,結婚はしなかったが,コサックの美男の歌手ラズモフスキーはじめ多くの愛人をもった。女帝のもとでロシアのサロン文化と上流社会の欧化が進み,美術院やモスクワ大学も創設された。内政の事実上の指導者は50年代はじめからシュバーロフPyotr Ivanovich Shuvalov(1710-62)で,国内関税の廃止,法典編纂事業など経済的自由主義と法治主義の方針がとられたが,農奴の法的地位は低下した。1744-58年宰相として外交を担当したベストゥジェフ・リュミンAleksei Petrovich Bestuzhev-Ryumin(1693-1768)は,イギリス,オーストリアとの同盟,スウェーデン,ポーランド,トルコに対する膨張政策をとり,女帝の晩年ロシアは七年戦争にも参加した。女帝はおいのピョートル(3世)を皇太子にしたが,両者の関係は悪かった。女帝時代の内外政策の基調と宮廷文化はエカチェリナ2世に継承された。
執筆者:鳥山 成人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報