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女帝 ジョテイ

7件 の用語解説(女帝の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

じょ‐てい〔ヂヨ‐〕【女帝】

女性の皇帝。にょてい。

にょ‐てい【女帝】

じょてい(女帝)

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デジタル大辞泉プラスの解説

女帝

日本のテレビドラマ。放映はテレビ朝日系列(2007年7月~9月)。全10回。原作:倉科遼、和気一作による漫画作品。脚本:高山直也ほか。出演:加藤ローサ、松田翔太かとうかず子ほか。夜の世界の頂点を目指すホステスの戦いを描く。

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世界大百科事典 第2版の解説

じょてい【女帝】

女性の帝王をいう。日本では592年(崇峻5)に即位したと伝えられる推古天皇が,存在確実な最初である。それ以前では,《三国志魏志倭人伝に,2世紀末から3世紀後半まで女王卑弥呼(ひみこ)と台(壱)与(とよ)とが倭の邪馬台国を支配したとある。《日本書紀》では神功皇后仲哀天皇の死後69年間摂政したとするが,史実かどうか疑わしい。6世紀の初め,市辺押磐王の女(妹ともいう)飯豊青(いいとよあお)皇女が,清寧天皇の没後皇位につく人がなかったので,約1年間政治をとったといい,《扶桑略記》はこれを飯豊天皇とする。

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大辞林 第三版の解説

じょてい【女帝】

女性の帝王。女王。

にょてい【女帝】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

女帝
じょてい

女性の君主(皇帝、天皇、王)のこと。女王。また一般に権力を有し権勢をほしいままにする女性をさす。日本では、第14代とされる仲哀(ちゅうあい)天皇の后(きさき)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)は、夫の死後、朝鮮進出を断行し、69年間政治をとったと『日本書紀』に記され、『風土記(ふどき)』では天皇とよばれている箇所がある。市辺押磐(いちべのおしいわ)皇子の娘飯豊青(いいとよあお)皇女は、第22代とされる清寧(せいねい)天皇没後1年間皇位についたといわれ、神功皇后同様天皇の称号を用いた史書もあるが、ともに伝説上の人物である。歴代天皇のなかでは、第33代とされる推古(すいこ)(在位592~628。以下同じ)、第35代皇極(こうぎょく)(642~645)、第37代斉明(さいめい)(655~661。皇極重祚(ちょうそ))、第41代持統(じとう)(686~697)、第43代元明(げんめい)(707~715)、第44代元正(げんしょう)(715~724)、第46代孝謙(こうけん)(749~758)、第48代称徳(しょうとく)(764~770。孝謙重祚)、第109代明正(めいしょう)(1629~43)、第117代後桜町(ごさくらまち)(1762~70)が女性であった。このうち実際政治に携わったのは持統天皇くらいである。日本の女帝は、先代の天皇が没したあと、すぐ即位できる適当な皇位継承者がなかった場合、先代天皇の皇后、皇女あるいは皇太子妃などが即位した例が多い。7~8世紀に女帝の出現が多かった理由は、皇室自体が王家として成熟していなかったためと考えられる。一方、大和(やまと)朝廷成立以前の2~3世紀ごろ、女王卑弥呼(ひみこ)が支配する邪馬台(やまたい)国があった(『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』)。邪馬台国の場合、女王は鬼道(呪術(じゅじゅつ))を用いて人心を支配し、実際の政治は男王が行っていた。また琉球(りゅうきゅう)王国(沖縄県)では、第二尚氏(しょうし)王統時代(1470~1866)まで、政治的実権を握る男王のほかに宗教上の最上位にたつ女性聞得大君(きこえおおぎみ)がいた。邪馬台国や琉球王国と天皇制下の女帝とを単純に比較してはならないが、男王と女王との連立即位をヒコ・ヒメ制とよび、日本古代王政の特徴とする説もある。
 中国では、史上女帝はただ1人しか出現しなかった。唐の皇帝高宗(こうそう)の皇后で、夫の死後国号を周に改め自ら即位し聖神皇帝と称した則天武后(そくてんぶこう)(在位690~705。以下同じ)である。彼女は新興の科挙官僚や地主層の支持を得、対立する勢力を容赦なく弾圧したが、即位後は文教政策を進めた。古代エジプトでは、ハトシェプスト(前1501~前1480)以来女帝の即位例が多い。とくにプトレマイオス朝のクレオパトラ7世(前51~前30)は、ローマ皇帝カエサルの愛妾(あいしょう)として、またアントニウスの妻として知られ、美貌(びぼう)と才知そして権勢欲を兼ね備えた典型的な女帝といえる。エジプトは元来母系制の強い社会だったので、多くの女帝が出現したといわれる。西洋ではその後、女帝として際だった存在はない。わずかに東ローマ帝国皇帝レオ4世の妃で、陰謀のすえ帝位についたイレーネ(797~802)が知られている。中世から近代に移行すると、西洋各国に著名な女帝が輩出する。カスティーリャの女王としてスペイン国家を統一し、1492年コロンブスの新大陸発見を援助したイサベル1世(1474~1504)、イギリス・チューダー朝の「処女女王」エリザベス1世(1558~1603)、神聖ローマ帝国の女帝としてドイツ、オーストリア、ハンガリーに君臨したマリア・テレジア(1740~80)、ロシア帝国皇帝ピョートル3世の妃で、のちに夫を死に追いやり帝位についたエカチェリーナ2世(1762~96)などがそれである。彼女たちは共通して、美貌、教養を備えたのみならず、啓蒙(けいもう)的、進歩的であった。閉鎖的な中世世界から脱却しつつあった西洋の人々が、彼女らを熱狂的に支持したのも、その進歩性ゆえであったろう。宗教改革の嵐(あらし)が吹き荒れていたこのころ、女帝の姿が慈愛あふれる聖母マリアの再来として迎えられたのも事実であった。
 2005年現在、女王が在位する国は、イギリス―エリザベス2世(在位1952~ )、オランダ―ベアトリックス女王(1980~ )、デンマーク―マルグレーテ2世(1972~ )などである。なお、イギリス連邦加盟で立憲君主制をとる国では、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、バハマなどエリザベス2世を元首とする国が多い。[水谷 類]

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世界大百科事典内の女帝の言及

【皇位継承】より


[皇位継承の資格]
 皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。…

【皇室典範】より

…現行法は,皇位継承資格・順位,摂政となる資格・順位,天皇・皇族の身分・特典,皇室会議などについて定めているが,旧法にあった元号制定,神器の継承,大嘗祭に関する規定は存在しない。ただし,女帝の否定(皇室典範1条)や生前退位の否定(4条)のように,法の下の平等や基本的人権の尊重を定めた憲法上疑問のある規定も含まれている。皇室【横田 耕一】。…

【中皇命】より

…古代の皇后あるいは女帝を指す語。仲天皇とも書く。…

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