「法による政治」を目ざす法・政治思想。絶対君主の政治を否定した市民階級が近代国家を設立した時点以後、各国の民主主義的政治原理となった。法治主義が実現されるためには、人権と自由を保障する法律が制定されること、またそうした法律に基づく行政と裁判所による法律の正しい適用がなされることが必要条件となる。近代民主政治の母国イギリスにおいて、議会制度や民主的政治運営のルール、あるいは法優位の思想が確立されることが法治主義を保障するものと考えられ、そうした政治を「法の支配」する政治とよんでいるのはそのためである。すなわち、イギリスでは、早くも13世紀において、法学者ブラクトンが「国王も官吏も神の法、自然の法、この国の慣習法に従って統治すべきである」という「法の支配」の考え方を述べているが、そのことはやがてこの国の実定法であるコモン・ローの精神に基づいて統治すべきこと、さらには、議会制度の発展につれて、「法の支配」とは議会制定法に従って統治することである、という政治原理にまで高められていった。ホッブズが政治権力の基礎を人々の同意・契約にあるとし、ハリントンやロックが立法部に最高権力があるとしたのは、「法の支配」思想の政治思想的表現であったと考えてよいだろう。この考え方は、19世紀末にA・V・ダイシーによって法の支配観念と議会主権論が結び付けられたときにイギリス民主主義の優秀性を示す思想原理となった。
他方、イギリスのような民主的な法・政治思想の伝統をもたず、民主的な政治制度の確立が不十分であったドイツでは、法治主義の思想はかならずしも民主政治の発展を保障するものとはならなかった。なるほど19世紀前半にモールが国民の権利保障を内容とする法治主義的立憲主義の思想を展開したが、その思想も、続くシュタール、グナイストらによって、法律によりさえすればいかなる政治も合法的であるという形での法治主義に矮小(わいしょう)化されてしまった。こうした考え方はワイマール共和制下にあっても根強く残存し、その末期には人権保障や議会政治を無視する大統領内閣による統治が行われ、そのことがヒトラー登場の要因となった。第二次世界大戦後の西ドイツでは、法治国家の確立を目ざすとともに、社会正義を実現する「社会的法治国」たることを定めた憲法を制定したため、ようやくドイツも民主国家となった。戦前の日本は、明治憲法の制定によって法治国家の体裁は整えたが、そこでは人権保障の規定が不十分で、政治制度の規定もきわめて非民主的であったので、法治主義をとるといっても形式的なものにすぎなかった。戦後は日本も旧西ドイツと同じく、英米流の「法治主義」=「法の支配」を実現することを規定した憲法を制定した。
[田中 浩]
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…法治国家Rechtsstaatとは,一言でいえば,政治が法によって支配される国家をいい,ドイツの学界でその原理は法治主義と呼ばれる。今日の法学においては,法治国家という語は二つの意味に用いられている。…
…法の支配は法治主義とは異なる。法治主義という言葉も人によって若干用法を異にしているが,基本的には,統治が議会の制定した法律によって行われなければならないとする原理であるといってよい。…
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