オルミュッツの協約(その他表記)Olmützer Punktation

山川 世界史小辞典 改訂新版 「オルミュッツの協約」の解説

オルミュッツの協約(オルミュッツのきょうやく)
Olmützer Punktation

1850年11月,オーストリアプロイセンモラヴィアオルミュッツで結んだ協約。プロイセンは小ドイツ的ドイツ連合政策を放棄してドイツ連邦復活に同意した。プロイセンの屈辱譲歩から「オルミュッツの屈辱」とも呼ばれた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のオルミュッツの協約の言及

【ラドウィツ】より

…50年9月プロイセン外相に就任,小ドイツ主義的な新ドイツ連邦〈ドイツ連合〉を推進する。だがロシアの支援をうけたオーストリアの反対で挫折,この統一政策の撤回を約したオルミュッツの協約締結前の50年11月,外相を辞任した。【望田 幸男】。…

※「オルミュッツの協約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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