日本大百科全書(ニッポニカ) 「逃亡奴隷法」の意味・わかりやすい解説
逃亡奴隷法
とうぼうどれいほう
Fugitive Slave Law (Act)
奴隷の逃亡に対する奴隷主の財産保護を目的としたアメリカ合衆国連邦法。1793年制定のもの(Law)と1850年制定のもの(Act)とがあり、いずれも奴隷制度を容認した憲法に基づいている。「奴隷制は純粋に州の問題」とする州権論にたつ南部諸州にとって、「北部自由州へ逃亡する奴隷の処遇に限っては連邦法に依存する」ということは矛盾であったが、奴隷制権益保護のため、1820年の「ミズーリ協定」の場合にも、付帯事項のなかであえて逃亡奴隷引き渡しについて確認され、また1850年連邦法の場合も「一八五〇年の妥協」の一部として制定されている。このような法律が制定されたことは、たとえば1800~50年の間に「地下鉄道」(逃亡奴隷援助秘密組織)を通って年平均2000人もの奴隷が逃亡するというように、奴隷制に大打撃となる個人的あるいは組織的な奴隷の大量逃亡という実態が常時存在していたことを物語っている。1850年連邦法は、とりわけこの「地下鉄道」の破壊を意図していた。1793年連邦法では、違反に対しては罰金だけを科したが、1850年連邦法では、逃亡者を他州へ追跡する権限を奴隷主に与え、全合衆国連邦保安官に逃亡奴隷の逮捕を命じ、彼らに民兵隊の組織などあらゆる手段を講ずる権限を与え、また逃亡奴隷に援助や宿所を与えた者には重い罰金を科した。これは奴隷制を北部へ持ち込むことを意味したため、北部において広範な奴隷制反対の気運を盛り上げる結果となった。
[竹中興慈]