ドイツ連邦(読み)ドイツれんぽう(英語表記)Deutscher Bund ドイツ語

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ連邦」の意味・わかりやすい解説

ドイツ連邦
ドイツれんぽう
Deutscher Bund

ウィーン会議により 1815年6月発足し,プロシアオーストリア戦争後の 66年のプラハ条約で解体したドイツの国家組織。オーストリア帝国およびプロシア,ザクセンなど5王国,ヘッセン=カッセル選帝侯国のほか大公国7,公国 10,侯国 10,自由都市4の計 38君主国 (のち 1817年にホンブルク地方伯領加入で 39) から成り,フランクフルト連邦議会がおかれた。参加各邦は連邦内他国の戦争の際の一致協力と,相互間の戦争禁止以外は主権を制約されず,一般事務処理の際は大国1票,小邦は数国を合せて1票の表決権を有し,重要法案審議の際は総会を構成し,その表決権は国力大小に応じて行使された。連邦議会の議長はオーストリアより出され,指導権をもったメッテルニヒのもと連邦議会は,三月革命までの反動的役割を果し,革命後の7月 12日,フランクフルト国民議会に権限をゆだねて解散。反革命後,オーストリアの提唱で 50~51年ドレスデン議会により復活,51年夏,復活後最初の連邦議会が開かれたが,オーストリア,プロシアの勢力争いに終始し,結局プロシア=オーストリア戦争後のプラハ条約で連邦は正式に解体した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドイツ連邦」の意味・わかりやすい解説

ドイツ連邦
どいつれんぽう
Deutscher Bund ドイツ語

神聖ローマ帝国解体とナポレオンによるドイツ諸侯国統廃合のあとを受け、1815年ウィーン会議で創設されたドイツ諸国の連合組織。オーストリア帝国、プロイセン王国とほかに四王国、一選帝侯国、七大公国、10公国、10侯国、一地方伯国、四自由市の計39国が加盟し、その機関としてフランクフルトに連邦議会が設置された。連邦議会は、議長国オーストリアによって統一ドイツ国家実現の運動を抑圧する機関として利用され、ウィーン体制期には自由主義的統一運動を弾圧した。その後ビスマルクが登場すると、プロイセン中心のドイツ統一に反対した。そのため1866年プロイセン・オーストリア戦争においてオーストリアが敗北するとともに連邦も崩壊した。

[岡崎勝世]

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