ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カイサーン派」の意味・わかりやすい解説
カイサーン派
カイサーンは
Kaysānīyah
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…ただしシーア派では,この用い方は不敬であるとする考え方が強い。 イマームを特定の人物の称号として最初に用いたのは過激シーア派のカイサーン派で,ムフタールMukhtārはムハンマド・ブン・アルハナフィーヤMuḥammad b.al‐Ḥanafīya(?‐700)をイマームおよびマフディーと奉じ,クーファで反乱を起こした。反乱が鎮圧され,700年にムハンマドが没した後,カイサーン派の主流はムハンマドが隠れイマームとなり,最後の審判の日に地上に再臨して正義と公正とを実現すると説いた。…
…スンナ派とともにイスラムを二分する一派で,預言者ムハンマドのいとこで女婿でもあるアリーを預言者の跡を継ぐべき者として奉ずるイスラム諸分派の総称(図)。シーアとは〈党派〉を意味する語で,本来,〈アリーを支持する党派Shī‘a ‘Alī〉の略称。ムハンマドは宗教的な預言者と教団指導者という二重の役割を一身で兼ねていたが,その死後,前者の役割は閉ざされ,後者の役割は代理者たるカリフに継がれた。正統カリフには,スンナに従って,教団の有力者が代々選ばれた。…
…一方で〈神により正しく導かれた者〉という意味にも用いられ,アブラハム,ムハンマド,アリーほか4人の正統カリフ,アッバース朝カリフのナーシルなどがマフディーと呼ばれる。他方,メシアの意味でも用いられ(終末論的マフディー),その初見は過激シーア派のカイサーン派のムフタールが,ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤをイマームおよびマフディーとして奉じ,クーファで反乱を起こした時である(ムフタールの乱)。反乱が鎮定され,ムハンマドが700年に没すると,カイサーン派の一部の者はムハンマドは死んだのではなく,一時姿を隠しているにすぎず,やがて地上に再臨して正義と公正とを実現すると説いた。…
…イブン・アッズバイルがカリフ位を僭称中に,過激シーア派のカイサーン派のムフタールMukhtār b.Abī ‘Ubayd(622‐686)がクーファで起こした反乱。彼は,ハニーファ族の女が生んだアリーの息子ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤMuḥammad b.al‐Ḥanafīya(?‐700)をイマームにしてマフディー,自らをそのワジール(代理)と称した。…
※「カイサーン派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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