アリー(読み)ありー(英語表記)‘Alī b. Abī ālib

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アリー」の意味・わかりやすい解説

アリー
`Alī ibn Abī Tālīb

[生]600頃.メッカ
[没]661. クーファ
預言者ムハンマド従弟女婿。第4代正統カリフ (在位 656~661) 。幼少のときからムハンマドに養育され,ムハンマドが預言者として活動しはじめると,その有能な秘書として活躍。ムハンマドの末娘ファーティマと結婚して,2男をもうけ,ムハンマドの血筋後世に伝えた。第3代カリフ,ウスマーンの暗殺後,カリフに選出されたが,ムハンマドの未亡人アーイシャやウマイヤ家のムアーウィヤ (→ムアーウィヤ1世 ) らの反対派との戦いを余儀なくされ,反対派の刺客に暗殺された。のちに,シーア派アリー子孫のみにイスラム世界の指導者の資格があると主張した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アリー」の意味・わかりやすい解説

アリー(‘Alī b. Abī ālib)
ありー
‘Alī b. Abī ālib
(600ころ―661)

イスラムの第4代正統カリフ(在位656~661)。シーア派初代イマーム。メッカのクライシュ人のハーシム家に生まれ、預言者ムハンマド(マホメット)とは従兄弟(いとこ)で、その娘ファーティマとの間にハサンフサインの2子を得た。ウスマーン亡きあとカリフとしてクーファに拠(よ)り、シリア総督ムアーウィヤと争った。661年かつての部下で、ハワーリジュ派の1人に暗殺された。イラクナジャフは彼の埋葬地。

[花田宇秋]


アリー(Rewi Alley)
ありー
Rewi Alley
(1897―1987)

中国で工業合作社、農村工業化に貢献したニュージーランド人。1927~1937年上海(シャンハイ)共同租界工部局の工場監督官として工場行政の近代化に努めるかたわら、罹災(りさい)者救済、揚子江(ようすこう)の築堤工事などに参加。日中戦争の激化後は戦線の「大後方」にあって工業合作社を組織、抗日戦争の物質的基盤と国共合作の政治的基礎を固めることに貢献した。解放後も農村工業化と技術教育に協力して現在に至る。『道なきにしもあらず』(1952)、『China Hinterland』(1961)、『Travels in China, 1966‐71』(1973)などのほか漢詩の英訳がある。

[加藤祐三]


アリー(Muhammad Ali (Bogra))
ありー
Muhammad Ali (Bogra)
(1909―1963)

パキスタンの政治家、外交官。現バングラデシュ、ボーグラー県生まれ。1930年カルカッタ大学卒業後ベンガル州政界に入り、1945~1946年同州政府財務相、1947年州首相。1947年パキスタン独立後はビルマ(現ミャンマー、1948)、カナダ(1949)、アメリカ(1952、1955)、日本(1959)で各駐在大使を歴任。1953~1955年首相在任中、1954年の東南アジア条約機構(SEATO(シアトー))加盟など西側従属外交を展開した。1962~1963年アユーブ・ハーン政権の外相を務めた。

[浜口恒夫]

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