カウシャーンビー(その他表記)Kauśāmbī

改訂新版 世界大百科事典 「カウシャーンビー」の意味・わかりやすい解説

カウシャーンビー
Kauśāmbī

前8~前6世紀ころに北インドに栄えた十六大国の一つバッツァ国の都。漢名は憍賞弥。ガンガーガンジス)川中流域と西部および中央インドを結ぶ当時の交通路の結節点にあたり,同国はマガダ国などとともに四強国の一つであった。ウッタル・プラデーシュ州南東部のアラーハーバード西方約60kmのコサム村付近にあてられ,ヤムナー川に面する。かつての都城の跡が残り,その最古層は前7世紀にさかのぼる。ブッダもここを訪れ,滞在したこともある。そのころのウダヤナ(優陀延)王は敬けんな仏教徒として仏典にあらわれる。ブッダの死後,パーリ経典をまとめたテーラバーダ派(上座部)の中心地であった。都城跡からはアショーカ王石柱が発見されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカウシャーンビーの言及

【インド美術】より

…インダス文明の崩壊後永らく耐久材を用いた建築は見られず,歴史時代に入ってガンガー(ガンジス)川流域に都市が形成されるとともに煉瓦や石による構築物が再び出現する。カウシャーンビー(現,コーサム)に代表されるように,それらの都市はおおむね河畔に発達し,周囲に濠や城壁を備えていることが多い。ラージャグリハ(王舎城。…

※「カウシャーンビー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android