カタルーニャ自治州

共同通信ニュース用語解説 「カタルーニャ自治州」の解説

カタルーニャ自治州

スペイン北東部の自治州州都バルセロナ。10世紀にフランク王国からの独立宣言中世には君主国としてイタリア南部まで版図を広げた。独自の歴史や言語、文化を持ち、画家ダリや音楽家のカザルス、建築家のガウディら著名な芸術家を多数輩出したことでも知られる。フランコ独裁政権時代、独自性を封殺されたが、フランコの死後の1977年、自治権回復に関する暫定協定を中央政府との間で結び、自治政府が発足した。(共同)

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知恵蔵 「カタルーニャ自治州」の解説

カタルーニャ自治州

スペイン北東部の自治州。北はフランスと接し、東~南は地中海を臨む。州都はバルセロナ。人口は約750万人でスペイン全体の約15%だが、GNPは20%近くを占めており、マドリード自治州と並んでスペイン商工業の中心地になっている。勤勉で進取気質に富むことから、中世以来、カトリックの中にあって独自の文化を育み、第2次世界大戦後は近代産業を発展させてきた。公用語は、スペイン語とカタルーニャ語など。
古代はローマ帝国、西ゴート王国の支配下にあり、8世紀初めにはイスラム勢力の侵攻を受けた。しかし、キリスト教徒レコンキスタ(国土回復運動)によって、1137年にカタルーニャ・アラゴン連合王国を誕生させた。連合王国は地中海貿易で発展し、13~14世紀に絶頂期を迎えたが、1479年にカスティーリャ王国に吸収(スペイン統一)されると、経済的な地位も低下していった。 19世紀後半、ガウディに代表される芸術運動を契機に民族自決の気運が更に高まると、1931年、スペイン第2共和制の成立と共に独立を宣言し、自治政府(ジェネラリタット)を成立させた。しかしその後、フランコ独裁政権によって独立は阻止され、伝統行事の実施やカタルーニャ語の使用も制限された。
75年にスペイン王制が復活すると、カタルーニャも自治政府を復活させ、79年に自治州となった。2006年、カタルーニャ自治州はより高度な自治を求める自治憲章を制定したが、スペインの憲法裁判所は民族・財政・司法の独立等に関する条項を違憲として退けた。しかし、独立を求める声は収まらず、14年9月カタルーニャ州マス首相は、分離・独立の是非を問う住民投票を行うことを発表。これに対し、スペイン政府は「住民投票は違憲である」とする姿勢を崩していない。

(大迫秀樹 フリー編集者/2014年)


カタルーニャ自治州(西)

スペイン北東部、フランス国境に位置し、バルセロナ、ヘロナ、タラゴナ、レリダの4県からなる自治州。人口は約630万人、GNPの約20%を産出する国内有数の商工業地帯であり、歴史的に独立心が強い。2006年5月にスペイン議会で同州の自治を強める自治憲章の改定が採択され、同年6月の州民投票で承認された。(1)スペイン標準語よりカタルーニャ語優先、(2)州独自の徴税権利を認める、(3)州の司法権の独立性を高める、などの内容が盛り込まれている。中世には、政治・経済の繁栄を背景に、独自の議会や「ジェネラリタット」と呼ばれる政府機関が生まれた。19世紀末、自治を求める政治的カタルーニャ主義が誕生、1930年代の共和国時代には、自治制度(政府機構は中世・近代のジェネラリタットの名称を使用)が認められた。36〜39年のスペイン内戦中、カタルーニャは最後まで共和国側で戦い、内戦後半の一時期は戦火を逃れたマドリード政府がバルセロナに拠点を置いたこともある。フランコ時代にはカタルーニャ主義は強い抑圧を受けたが、75年のフランコ没後、77年にはジェネラリタットが復活し、78年憲法および79年自治憲章が成立した。

(渡邊啓貴 駐仏日本大使館公使 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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